デゴイチの週末



 先週土曜日は、水産高校のA君が、柔道の県選手権大会個人戦で優勝、全国大会出場を決めたとか、例の「おいしい闘技場」の本番が行われたとか、いろいろ水産高校生の活躍があった。それらを見に行きたいという気持ちもけっこう強かったのだが、残念ながら(?)、私は家族でお出かけであった。

 この週末、陸羽東線にD51の引く列車が走った。もとより私は、有名なSLファンであるが、それ以上に知る人ぞ知る「客車」ファンである。既に「客車」に乗ることが至難な現在の日本において、私としては、「客車」に乗れれば、それを牽引するのがSLであろうが電気機関車であろうが関係ない。家族も喜ぶので、ここはひとつSL列車でお出かけということにしたのである。新聞によれば「発売の瞬間に完売した」というプラチナチケットは、なぜか最も安易な方法で簡単に手に入った。ただし、往路だけである。

 そこで、あれこれ考えた末に、土曜日はSL列車に乗って新庄まで行き、すぐに普通の列車で引き返してきて鳴子温泉で泊まり、日曜日に、鳴子温泉駅界隈で上りのSL列車を見物した後、普通の列車で小牛田に戻ることにした。

 近年、SLと言えばC11しか見るチャンスのなかった私にとって、久しぶりで見たD51は大きかった。もともと美しいSLだとはあまり思っていなかったが、今回、なかなか安定感があって、これはこれで美しいと思った。力があるため、2年前に陸羽東線にC11が走った時のように、先頭にSL、最後尾に後押し用の補助機としてDE10(ディーゼル機関車)などという興醒めなこともなく、その点でも良かった。

 肝心の客車は、12系という、残念ながらSLとは実に不釣り合いな青い近代車両である。鋼鉄車両で、木の温かみに欠けるとか、妙にピカピカ明るくて風情がないとか、情緒的な文句もあるのだが、最もいけないのは、空調装置が付いていて微振動がある上に、そのための発電用ディーゼルエンジンが1号車床下に付いていることである。幸い、私は3号車だったので、最悪の事態は免れたが、これでは何のための客車か分からない。客車の魅力は、その静かで滑るような乗り心地なのである。

 2年ぶりで陸羽東線に乗ったが、途中、県境を越えたあたりで、なんだかこの線の駅名が今と昔でずいぶん違うような気がしてきた。自宅に帰ったあと、40年前の時刻表と今の時刻表を照合してみたところ、始発と終点の小牛田・新庄を除き、現在ある25の駅のうち、なんと11駅が変わっている。う〜ん、これはなかなか驚くべき事ではないだろうか!?具体的には・・・陸前古川→古川、上岩出山西大崎有備館=新設、西岩出山→上野目、川渡→川渡温泉、東鳴子→鳴子御殿湯、鳴子→鳴子温泉中山平中山平温泉、羽前赤倉→赤倉温泉、羽前向町→最上、瀬見→瀬見温泉、である。

平成の大合併」によると思しきものもあるが、温泉や文化遺産など「商品」をアピールするためのものが圧倒的に多い。これは、駅名が、単に地名を表すものから、商業宣伝用の広告塔へとその役割を変えたことを示しているだろう。そう言えば、陸羽東線自体も「奥の細道湯けむりライン」なるいささか安っぽい愛称(別称)が付けられている。思わぬ社会学的勉強をしたことであった。

 往路は、古川から青空ながらも雨、鳴子から冬空に雪が舞い始め、山形県内では、晴れ時々吹雪という天気であった。山々は既に冠雪し、曇っていればそれなりに冬の風情、日が差せば差したで光り輝いて、風景は楽しめた。イベント列車として仕方のないことであるが、混雑している上、「歓迎行事」の類が多すぎて、「静かなローカル線の旅」とはいかないところが残念だった。

 幼い子供を連れて旅行をすると、そこで出会った人々が子供を可愛がってくれて、会話が生まれる。人間関係が希薄だと言われ、列車で隣に座ったからといって普通は言葉を交わすこともない昨今だからこそ、人々とのそんなさりげない関係に心癒される。ぴかぴかの12系客車よりも、列車や温泉旅館の中での人々とのいわば前時代的な触れ合いこそが、SLに似つかわしいと思った。

 こんな週末であった。