PCも開通しました



ものすごい勢いで復旧が進んでいます。各家庭から、ヘドロまみれのゴミが手当たり次第に道路に出され、自衛隊を始めとする重機部隊が、道路をふさいでいた家や車といった物を、あっという間に押しのけて道路を通れるようにし・・・私の想像をはるかに上回るパワーです。

我が家では、今日、固定電話・インターネットと水道(!)がついに復旧しました。ガスはまだですが、これで家の中での生活にはほとんど不自由しなくなりました。

ただ、石巻市内を流れる北上川にかかる4本の橋は、そのうち2本が完全に使えない状態で、我が家の車も2台とも津波でゴミとなり、学校の行き来は非常に大変です。雨が降る降ると言いながら、全然降らず、そのためホコリがひどくてかないません(降ったら降ったで放射能が恐い。雨自体もウザイ)。

水産高校の避難者も、日に日に自宅に戻り、250名を切ってしまいました。物資は供給過剰。避難所には物が溢れています。一方、避難所にいないと、物を買うのは非常に難しく、そのため避難所に物をもらいに来る人もいるのですが、それが「当然」のことになると、避難所も窮地に陥りかねないということで、なかなか多くを差し上げるわけにもいかず・・・難しいところです。唯一、絶対に入手困難なのはガソリンです。ただし、私自身は、今、一般車をあまり動かすべきではないと思っているので、ガソリン不足はむしろいいことだと思っています。

学校では、生徒の安否確認が大詰めを迎えました。そして今日、残念ながら、初めて生徒1名の死亡が確認されました。職員は全員無事、生徒でまだ安否が不明なのは数名なので、一般に報道されているほど死者は多くない、というのが実感です。私も、当初は、数十名の単位になるかと思っていました。

学校は、地盤沈下のためか、毎日、満潮の前後3〜4時間水没しています。特に今は大潮なので、膝までの冠水です。潮汐表を見ながら、みんな予定を立てていますが、こんな場所で学校が再開できるのかどうか、不安に思いつつも、口には出せないという感じです。船も全て陸に打ち上げられ、動くかどうか分かりません。

宮城丸は、3月16日に神奈川県の三崎漁港に入港し、17日に水揚げ、その後、宮城県で着岸出来る場所が確保できないため、生徒は三崎で船内待機となっています。

以上、近況でした。