愛知で考えたこと(3)・・・愛知ボランティアセンターのことなど



 5月3日、この1ヶ月半、石巻に毎週のように来てくれていた「愛知ボランティアセンター」(以下、ボラセンと略)の本部へ行った。東別院(真宗大谷派東本願寺の名古屋別院)のお茶所という売店のような建物がそれである。ここで、続々と届く市民からの支援物資を受け付け、仕分け等の作業を行っている。意外なことに、ボラセンのメンバーが何人かははっきりしない。10名ほどの中心人物がいて、代わる代わるその場を仕切ってはいるが、あとは物資を持ち込んだ人が、その場でボラセンメンバーに変身し、手伝ってくれることで作業が成り立っているのだそうだ。

 現地を飛び回っているボラセンの代表者・久田光政氏に代り、本部の責任者は副代表のY氏である。小柄な26歳で二児の母、(私の感覚からすると)やや濃いめの化粧といい、金髪に近い茶髪といい、一見まったくただの「ヤンママ」に過ぎないが、周囲の人々の話を聞いていると、これがなかなかの大人物であると分かってくる。外見と行動のアンバランスは、こういう場合、人の価値を高めるものである。本部の明るく和やかでありながら、テキパキと隙のない真面目な雰囲気は、Y氏の存在によって作られているという。

 その他、ここで中心になって働いている人達は、ほとんどが高校生フェスティバルで久田氏の薫陶を受けたメンバーだ。久田氏の強引で大雑把な運営姿勢について、その長所も短所を知り抜いた上で、長所を最大限生かすために、自分たちがその短所をうまくフォローしていこうという意識を持っている。人間関係とか人材というものは、すべての基礎となる本当に大切なものだな、と思う。

 その場にいた人達は皆、「ここに来る人達は本当に気持ちがいい、だからここに来るのが楽しい」というようなことを言う。当然だろう。自分にとって経済的にマイナスだらけのことを、遠くに困っている人がいる、という一心で行うわけだから、悪い人がいるはずがない。

 ここで受け付ける物資は、「新品、タグ付き」が条件であるが、中には、新品ではあるもののタグがない、といった二級品(?)が含まれてしまうこともある。彼らはそれをバザーで売って義援金に回し、被災地に還元されるようにといった工夫もしている。以前(4月13日)書いたことも含めて、善意を生かし切って支援を実現しようと、至る所にこまやかな知恵と工夫をつぎ込んでいることに感心する。

 5月5日朝、宮城県から戻ってくるボランティアを乗せたバスを出迎えに行った。今回は、松島でのホテル泊(宮城にお金を落とすのも支援のうち、とのこと)を含め、1泊4日で、本吉町の小泉浜でガレキ撤去の作業が中心だったらしい。驚いたことに、このバスには誰でも乗れるわけではない。殺到する申込者の中から、セレクションを行い、バスの定員まで絞り込むのだという。選考基準はどれだけ「熱い思い」を持っているかだそうである。今回は、ゴールデンウィークであるにも関わらず、バスを1台しか出さなかったので、競争率は10倍を超えた。大阪や九州は当たり前、先月には、香港からの申込みもあったという。

 被災地の人間が、そこで活動するボランティア団体の本部を訪ね、舞台裏を目の当たりにするのは貴重な経験である。現地での支援活動というのは、正に氷山の一角であって、その背後に途方もない労力が費やされているのだということがよく分かった。この三日間にここで見たあらゆるものにすがすがしい感動を覚えた。なぜか、「美しい」という形容が似つかわしいと思った。

 ところで、今回連れて行った高校生は、「全国高校生交流集会」(5月3日夜)でも、「全国高校生サミット」(5月4日午前)でも、「東日本大震災の犠牲者を悼み、被災者を応援する集い」(5月4日午後)でも、「僕たちも頑張りますので、ご支援よろしくお願いします」というようなことを語った。

 それは単なるご挨拶言葉だろうが、ふと考える。被災地には「支援(行政によるものはここでは考えない)」を要求する権利があるかというと、多分、ない。権利には二種類ある。主張できる権利と、主張できない権利だ。100円の物を買う時、100円玉を一つ渡せば、物を受け取る権利が発生する。くれなければ訴えることすら出来る。しかし、支援を受ける際には、くれるという場合に「ありがとう」と言って受け取ることは出来ても、「よこせ」と言うことは許されない。この場合、権利は「あげる」と言われた時にのみ受動的に発生するものだ。被災地の人々は、このことを重々肝に銘じておかなければならない。被災地側に要求する権利がないということは、支援する側にも責任や義務は存在しないということである。

 どうしてこんなことを確認したかというと、このことがよく自覚されていてこそ、支援のありがたみも倍加すると思うし、ボラセンの方々には、ぜひ自分たちが楽しいと思える範囲でのみ、作業をして欲しいとも思うからだ。ボラセンの本部に出入りする人々の、生き生きとした美しい表情こそが、被災地への最高の励ましであるように思われた。被災者が直接目に出来るのが、そのごく一部に過ぎないというのは残念と言う外ない。