「富月」のバターどら焼き



 今日は、震災後初めて本吉(気仙沼・南三陸)へ行った。目的は、気仙沼市本吉町津谷(つや)にあるお菓子屋さん「富月(ふげつ)」である。

 私は、震災以来、ずっとこの店のことを心配していた。というのも、私はこの店の「バターどら焼き」なるお菓子を、宮城県を代表する名菓だと思い、愛していたからである。「バターどら焼き」などどこにでもありそうなものだが、普通の「バターどら焼き」は、中に餡とバターが入っているのに対し、ここのものは甘めに作ったどら焼きの皮の中に、少しホイップしたバターだけが入っている。塩気のあるバターと甘い皮の相性はよく、濃い緑茶かブラックコーヒーで食べると、美味なことこの上ない(注意:少し冷やして、バターが固い状態で食べること)。宮城県で最も有名で、人々がこぞってお土産にするのは「萩の月」であろうが、なぜあんなに類似品多そうで平凡なお菓子が幅を利かせ、この「バターどら焼き」が、日の目も見ずに、宮城県の辺境地区で細々と売られているだけなのか、私は理解に苦しむ。

 というわけで、落ち着いたら「富月」の様子を見に行き、もしも津波にやられて店を閉めているようだったら、自宅の扉を叩いて、この店の復活を熱望している人間が世の中には居るのだということを店主に伝え、ささやかなる激励にしようと思っていたのである。

 津谷の街は、東側、すなわち海と街の間が山脈状の地形によって隔てられている。そのおかげでもしかすると無事なのではないか、と一縷の期待を抱いていたのだが、果たして、津谷の旧市街地(商店街)はかろうじて無事で、「富月」も店を開けていた。私は、久しぶりで「バターどら焼き」(プレーン、レーズン入り、クルミ入りの3種類がある)を大量に買い、はなはだご機嫌であった。


 ところで、私は米谷(まいや)から津谷に抜けようとして、うっかり志津川への道(国道398号線)に入ってしまったので、そのまま、志津川から国道45号線を北上することにした。志津川や歌津の惨状は、テレビ等でも見ていたし、石巻や女川の状態から想像も出来たので、さすがに今更驚きはしなかったが、それでも石巻界隈と大きく異なっていたのは、JR気仙沼線の荒廃であった。高架橋はあちらこちらで落ち、盛土部は崩れ、線路は流され、正にずたずた、復旧させようと思えばゼロから作るに増す労力が必要であろうと思った。

 歌津と小泉浜は、国道が大破したため、迂回路が設定されている。特に、小泉浜の迂回は非常に大きい。国道を北上すれば、津谷の街には南側から入ることになるが、大きく西側へと迂回した結果、津谷と米谷方面を結ぶ国道346号線に出て、津谷には西側から入ることになった。

 津谷に近づくにつれて、ガレキが増え、ここも津波でやられたことが分かる。上述の通り、津谷の街は無傷だった訳だから、街の西側が被害に遭っているというのは不可解である。「富月」の店主に尋ねてみると、波は東側の海から押し寄せたのではなく、小泉浜から津谷川を遡り、南側からやって来て、街を西側から攻めたのだそうだ。恐るべし!

 不思議なことに、ちょっとした角度や地形の事情でか、ほとんど同じ場所にある家でも、大きな被害を受けている家と無傷な家がある。これは石巻界隈でも似たようなものだが、津谷に関しては特にそれが目に付いた。一網打尽に全てが流されるよりも、このような不公平性の方がより残酷であるように思われた。

 せっかく津谷まで来たのだからと、「見物」を遠慮していた気仙沼市街にも足を延ばすことにした。途中の気仙沼向洋高校付近はまったくメチャクチャだったが、気仙沼市街は、大火事が出て大変だった所とはいえ、今日私が見た範囲だけで言えば、石巻の何分の一にもならない軽微な被害に見えた。