興味のないことこそ大切にせよ



(6月19日(=授業参観・PTA総会)付第2次月曜プリントから補筆転載)

 昨日は、石巻地区にある12の高校の合同学校説明会というのが行われた。私は今年、「企画情報部」という宮水の広報を担当する係にいるので、朝から、会場である石巻高校に行っていた。

 2校に1教室が割り当てられ、そこに様々な展示をして、来場した中学生や保護者に学校の説明をする、というものである。水産高校は残念ながらあまり人気のある学校ではないらしく、多くの来場者が部屋の前を素通りしようとする。隣は地区を代表する進学校石巻高校で、こちらは大盛況だ。

 というわけで、宮水では展示スペースの入り口で「呼び込み」を行うのである。なんだか、30年若返って、自分たちの文化祭をやっているようで楽しい。

 しかし、大抵の中学生は、お目当ての学校にまっすぐ行くと、いかにも「宮水なんて私は受けませんよ」という顔をして通り過ぎようとする。私は、「ちょっと待って、それは違うぞ」と声を掛ける。自分が行きたい学校の情報なんて、自然に耳に入ってくるものだ。しかも、私も長く普通科の高校、しかも地区や県を代表する進学校という所に勤務していたが、普通科の高校に学校説明を聞きに行ったところで、目新しい話などあるわけがない。せいぜい、進学実績やそのための対策なるものをひけらかされ、そのような発想を多少は後ろめたく思うのか、本心にもない(失礼!言い過ぎ・・・かな?)総合学習的な企画や部活について語られるのがオチであろう。

 自分が行くつもりのない学校を見ることで、世界は広がる。それは、学問の本質ともいうべき姿勢だ。勉強する上で大切なのは、どこの学校に行くかではなく、そういう姿勢なのである。もちろんこの話は、自分の好きなこと興味のあることだけに意識を向けているだけでは成長しない、成長するためには、下らないとか、つまらないとか思うことにこそあえて目を向ける必要がある、と読み替えてもらわなければ困る。


(補)石高は懐かしい。そういえば、この教室で担任していたこともあったっけ、などと思いながらぼやっとしていた所、突然、「あっ、平居先生!」と声を掛けられた。見れば、10年ほど前に石巻高校で教科担任として付き合ったA君である。スーツを着ている。何事かと思って尋ねると、今春教員採用試験に合格し、市内の中学校で教員をしているという。びっくり仰天とはこのことだ。成績は最低に近かった。落ち着きがなく、行動にはいろいろと問題があった。ほめられたのは、3年間陸上部でまじめに活動したことくらいだ。いくら体育の教員とはいえ、彼が中学の教員になったというのは驚く。しかし、驚いたのは、そのことよりも、むしろ彼の真面目な表情と、ひたむきな目の輝きの方かも知れない。人間というのは分からない。多分、彼は彼なりの紆余曲折を経験し、「目覚めた」結果として努力し、数年間の講師生活を経て、教員になったのだろう。これはなかなかいい教員になる、と直感した。こんな嬉しいことはない。