バッハのロ短調ミサ曲、または、「ミサ曲」という文化



 今日は、はるばる中新田までバッハのロ短調ミサ曲を聴きに行っていた(中新田バッハホール開館30周年記念行事。石川浩指揮、山形交響楽団、菅英三子他独唱、バッハホール・アニバーサリー合唱団=公募)。私は、生涯に一度、この曲だけはステージで歌ってみたいという願望があって、1987年に仙台宗教音楽合唱団に入団したという過去がある。それほど思い入れの強い曲だ。間違いなく合唱音楽の最高峰であると思う。

 今日の演奏会は、もともと5月22日に行われる予定だったのだが、震災の影響で延期となっていた。あまり一般的な曲とも思えず、仙台や石巻から車で1時間以上かかるという地の利の悪さも関係なく、チケットは完売、満員御礼という盛況であった。

 壮絶に下手くそな合唱だった。あまりにも下手な合唱団が、必死に歌っているので、思わず笑い出しそうになってしまったほどである(私は1994年にも、中新田町制施行40周年記念行事として、同じ場所で、同じ指揮者、オーケストラを始め、同じような構成の合唱団でこの曲を聴いたことがあるが、こんなにメチャクチャな演奏だった記憶はない)。・・・と書いたことに悪意はない。いくら下手でも、ひたむきであれば許せてしまうのが素人の良さである。と同時に、そんな合唱団が歌っていても、この曲自体の価値に感動できるところが、名曲の名曲たるゆえんであると思う。

 「ミサ曲」は面白い。14世紀以来、実に多くの作曲家が、ラテン語の「ミサ通常式文」という同じ歌詞に曲を付け続けてきた。歌う側、聴く側としては、これほど便利な曲はない。とにかく、歌詞は基本的に同じなのである。それでも、それなりの長さを持つラテン語の歌詞など覚えていられない、と言う人は、イエスが十字架に付けられる部分こそ多少の物語性を持つが、他は「神は素晴らしい」「私は神を信じます」「神よ救いたまえ」の三種類をひたすら繰り返しているだけと思っていればいいのである。更に言えば、今日演奏されたバッハのロ短調ミサ曲などは、歌詞など全然知らなくても、純粋に音楽そのものに心揺さぶられるはずである。

 ところで「ミサ通常式文」によってミサを行うのは、カトリック教会である。バッハは、言うまでもなくプロテスタントを代表する作曲家だ。プロテスタントの人間が、カトリックの儀式音楽を作曲した、このことにこそミサという文化の性質、或いは人間の文化の性質(本質)というものがよく表れている。普通、ミサ曲は実用の音楽だが、バッハにとって、このロ短調ミサは実用音楽ではないのだ(20世紀後半に作曲されたバーンスタインのミサ曲に至っては、わざわざ「劇場的作品」と断り書きが付けられている。ただし、この曲はミサ通常式文に基づかない、自由な構成の作品である)。

 では、なぜバッハはこんな曲を作ったのだろうか?思うに、バッハにとって、ミサ曲は「ミサ曲」という形式に過ぎなかったのだ。人間の様々な感情をまとめて表現するのにこの形式が優れている、この構成でならドラマチックな音楽が書きやすい、と思ったから、枠を借りたのであろう。

 不思議なことに、人間という生き物は、枠があると窮屈な思いを抱くのに、一切枠のない、完全に自由な白紙の状態でものを作るのは非常に苦手だという性質を持っている。だから、既成の形式(様式)というものを使うのである。また、枠があれば不自由だと思うのは、レベルの低い人間であって、本当に優秀な人間というのは、どんなに煩瑣な規則に支配された窮屈な枠でも、それを決して踏み外すことなく、きっちりと枠に収まった上で、なおかつオリジナリティに溢れる仕事をするものである。バッハのロ短調ミサ曲は偉大だが、それ以外でも、綿々と作られ続けてきた「ミサ曲」という文化に思いを致す時、そんなことを思う。