今年の「石巻・川開き祭り」



 昨日今日は、被災地・石巻の「川開き祭り」であった。もともと雑踏が嫌いなので、あまり行く気はなかったのだが、妻子は行きたいと言うし、今年は何かと特別な年なので、特別な「川開き祭り」を観察してくるのも悪くはないか、と思い、今日の出店と花火大会だけ見に行った。

 二日間という日程は例年通りだが、「孫兵衛船競争」を始め、内容は大幅にカットされているし、例年事前に各家庭に配られるぶ厚いプログラムもなし。花火大会も、北郊の開北橋から市の中心に近い中瀬に会場を移し、時間も1時間に短縮・・・という具合である。

 地元企業の多くが、立ち直れないほどのダメージを受けた中、花火大会などというひどく金のかかるイベントがなぜ実施できたのかというと、例によって全国からの支援である。主な支援者として新聞に載っていたのは、「諏訪湖湖上花火大会」「土浦全国花火競技大会」「大曲全国花火競技大会」「長岡まつり協議会」「袋井商議所青年部」「京都府舞鶴市」「大阪府富田林市」であった。

 街の中は思ったほど人出がなく、少し閑散とした感じだが、花火が見える北上川沿いに行くと、それなりの人出である。それでも、まったく例年の比ではない。松島、塩釜、女川方面からの鉄道が開通していない上、市の中心部に車を停めるスペースが少ないとあって、郊外の人たちは来るに来れなかったのではないかと想像する。

 私達が行った北上川の西岸は、川沿いの家が大破はしていてもあまり流失していない。これはもちろん悪いことではないのだろうが、川に沿った道が地盤沈下の影響で冠水するため、立ち入り禁止になっているので、家屋の流失による空き地が少ないとなれば、花火を見るにははなはだ具合が悪い。それでも、我が家は比較的条件のよい空き地を見つけることが出来、花火を堪能することが出来た。

 ひどく寒かった。アメダスによれば、今日20時の石巻の気温は20.2度、東から2mの風が吹いている。花火の煙を追い払うには実に程よい風であるが、体感温度を2度下げると、半袖では肌寒いということになる。子供は長袖を着ているのに、かたかた震えていた。

 花火は、「やけくそ」ではないかと思うほどたくさん上がった。新聞に載ったプログラムによれば、「祈り」と題された第1部が4号玉の120連発。続いて第2部「希望」では、同じく4号玉の20連発が9回、そして最後に「フェニックス」なる大型の仕掛け花火が披露された、はずであるが、本当にそれだけ(?)だったのかどうか・・・。

 日本の花火の進化にも驚く。寒さに震える子供が、いつも寝る時間を過ぎても、最後まで文句を言わずに見ていたのは、物量豊富だっただけでなく、それほどまでに圧倒的に美しかったからである。自分が少年時代に見た花火は、どのようなものだったのだろう?ふと、そんなことが気になった。

 この花火大会、或いは今年の川開き祭りが、石巻の復興に弾みを付けることになったのかどうか、人々に希望を与えることになったのかどうか、そんなことは知らない。絶えず「希望」だ「復興」だと騒ぐのは、私の美意識に反する。希望は各自が各自なりのものを胸に秘めていればよいし、復興へ向けての作業は、黙って黙々とやればよいのである。全国の善意によって花火大会が行われ、見に行った人々がいい気分になれた、それで十分である。