高校時代の豊かな時間

 いい天気の週末だった。夏至まで1ヶ月を切り、日射しが強い。紫外線が多いと、ものの色が鮮やかだ。しかも湿度が低いので、細部までとてもシャープに見える。
 眺望絶佳。世の中広しといえども、家の中から見る風景がその言葉に値する家というのはそうそうない。我が家は標高20mあまりの高台で、海岸まで700m。加えて、今年の3月には、我が家から海岸までのほぼ全域が「石巻南浜津波復興祈念公園」という緑地となった。田代島、網地島も見える。それらと石巻を結ぶ船が、白い尾を曳きながら行き来する。
 この週末は、そんな我が家からの風景がひときわ美しかった。特に今日の夕方。午前中までは北上川の河口から茶色い水が流れ込んでいたが、夕方までには通常の色に戻り、濃厚な紫外線下で深みのある真っ青な海になった。海は青ければ青いほど近くに見える。ウグイスも盛んに鳴く。もったいなくて何をする気にもならず、長い時間ちびちびお茶を飲みながら、ぼやーっと居間から外を眺めていた。
 しかしながら、途中6時間ほど家を離れた。今日は、勤務先の高校の吹奏楽部の定期演奏会だったのである。私も関わってきた生徒たちの最後の演奏会だ。
 もっとも、吹奏楽部の定演には、今年に限らず毎年足を運んでいる。素人の音楽が私は大好きだから。生活にいろいろな制約があっても、音楽をせずにはいられないという情熱、この1回が全てだというひたむきさ。いくら音が汚くても、アンサンブルにほころびがあっても、その音楽は人を動かす力を持つ。欠点は・・・?あまりにも思いが強すぎて、プログラムが肥大し、演奏会が長くなる傾向があること、かな?
 会場の多賀城市文化会館に着いたら長い行列ができていた。行列の他に、椅子の置かれた待合スペースも人がいっぱい・・・と思ったら、演奏会場の隣の小ホールは、ワクチン接種の会場になっているのだそうだ。
 会場に入るところで、今春他校に移動したO先生に声をかけられた。その後、気が付いただけでも10人ほどの同僚に会った。これは多いような気がする。なぜかは知らない。
 例年通り、ステージは3部構成。1つのステージが30分ほどで、休憩も10分しか取らないし、司会者の話も変な受けを狙ってダラダラ続くということがないので、昨年ほどではないにしても、まずまずテンポよく進行した。期待どおりの「素人の演奏会」だ。ただ楽器を吹くだけならともかく、演出まで含めて、いったいいつこれだけの準備をしたのだろう?と感心した。私はできるだけ定時退勤を心掛けている数少ない教員なので、パートごとの音出しくらいしか耳にする機会がない。全体で合わせている音を聴くことは稀だ。私が帰った後の時間に、ものすごい勢いと集中力で準備をしていたのだろう。
 顧問が指揮したのは第1部だけだった。昨年は、顧問が3年生1人1人の紹介までしていたのに、今年は生徒司会者がやっていた。顧問の名誉のために書いておくと、顧問は昨年までと同じで、特に生徒との関係が悪いということもない。生徒の判断か、生徒と顧問の話し合いの結果として、生徒の存在感がより大きな演奏会にしたのだろう。私は好感が持てた。部活動は生徒のものである。大人の存在はできるだけ小さい方がいい。
 高校吹奏楽部の演奏会ではよくあることだが、終演後、会場を出たら3年生がずらりと並び、来場者に挨拶をしていた。みんなとてもいい笑顔。練習時間の制約、特にコロナ問題で、一時は練習さえ禁止になった。意見のぶつかり合いと人間関係のトラブル。それら多くの問題を乗り越えて定期演奏会を成功させたという喜びと達成感とが大きかったのだろう。本当に豊かな時間を過ごしたと思う。高校時代にそんな体験をすることができるのは素晴らしい。