これは恐いことかも知れない!



 何ヶ月か前に聞いた話である。とても重要な問題に思われたので、この場で紹介しておこうと思いつつ、なぜか「うっかり」を繰り返し、今になってしまった。

 水産高校(図書視聴覚部)では、毎年、この学校に関係のある新聞・雑誌記事を集め、最後に製本している。「関係ある」というのは、水産高校が話題として取り上げられたものだけではなく、水産高校関係者が書いたものも含む。

 驚いたことに、たった40部しか作らないこんな校内冊子でも、その掲載のためにはいちいち新聞社に了解を取り、場合によっては著作権料を払うのだそうだ。会社によっては、それがけっこう高額なので、掲載をあきらめる記事もあるという。世の中は面倒くさい。

ところで、このブログでも紹介したとおり、昨年12月24日に私の投稿が『河北新報』に掲載された。これは当然、宮水の新聞記事総集編(スクラップ集)にも収録されることになる。ところが、『河北新報』からその許可が出なかったという。詳しいことは分からない、作業に当たっている宮水の図書館司書Aさんによれば、話題が明るくないだったか、県に対して批判的だったかの理由だったそうだ。Aさんの記憶も曖昧なのだが、不許可の理由が文章の内容に由来するものであることは間違いがない。

 これはゆゆしきことではないだろうか?記事として掲載してしまったものの、その後、内容に間違いが発見されたとか、公序良俗に反する記事であるとして問題になったとかいうならともかく、内容云々で、新聞社がその記事の転載を許すとか許さないとかいうのは、非常にうさんくさい危険な臭いのする話だ。県当局から、以後、このような批判的記事(特に投書)を掲載したり、既に掲載済みのものであっても、これ以上広範囲に流出するようなことをしたりするのはまかりならん、と「指導」が入ったのではないかという疑念すら抱かしめるに足る。

 私としては、自分の記事も載せてほしかったという気持ちがあるわけではない。最初、「かくかくしかじかの事情で、平居先生の記事が載せられないのですがいいですか?」と言われた時には、特に何も考えず、「全然お気遣いなく」みたいなことを言ったのだが、後からよく考えてみると、非常に重要な恐ろしいことのように思えてきたので、何かのために、ここに書いておくことにした次第である。