あえて赤恥をかく道を選ぶ



(10月21日付「第2次月曜プリント」より、加筆訂正して転載。このプリントは、いつも配りっぱなしだが、今日は非常に珍しく、解説しながら朗読した。)

 昨日の総練習は、総監督が実行委員会から呼び出されて一時場を離れた瞬間に崩壊、いつの間にか雲散霧消(←意味調べてね)というお粗末な結果に終わった。全員、赤恥をかく覚悟を決めた、と見える。

 しょぼい演劇練習の一方、教室ではクラス旗作りが着々と進んでいた。デザインはシンプルで、まるでどこかの国旗みたい。そして一切絵がないというのが少々手抜き臭いが、私はご機嫌である。作業が丁寧というだけではない。私の「教育方針(逃げるな、自立せよ、背伸びせよ)」が大書されているからである。この旗は、私が担任である限り、正にクラス旗として使える。

 ここで考えて欲しいのだが、監督が席を外した瞬間に練習総崩れ、というのは、各自が自分自身でどうすべきか考えていない証拠である。人に見張られ、指示されないと動けない、こういうのを「逃げている」というだけでなく、「自立していない」ともいうのである。私が「自立せよ(自分のことは自分でやれ)」としつこく言うのが、朝起きるとか、分からないことは自分で尋ねる、ということだけでないこと分かるだろうか?

 演劇に話を戻すと、私は諸君に自立してもらうためには、私が総監督として、全てを指示するわけにはいかないのである。しかし、全てを諸君任せにすることは、指導の放棄であって、諸君を伸ばすことにはならない。そこで、全ての元となるシナリオ委員会には相当介入したが、その後は、各担当の長との打ち合わせに的を絞った。それでも、場面の設定や、舞台の進行については、打ち合わせの内容をプリント化することが、今の諸君には荷が重すぎると思ったので、やむを得ず、私のメモを印刷し、提供したのである。

 私がしてもいいのは、どうしてもここまでだ。打ち合わせの内容は、全く全体に周知されていないことが分かる。しかしそれは、高校生であれば、いかに幼い高校生であったとしても、絶対に自分たちで出来なくてはならない。ここまで手を貸して、それでも出来ないのなら、私が先頭に立って諸君を動かし、外見だけよく見せるよりも、諸君と共に赤恥をかく道を選ぶ。

 私が、以上のような計算(計画)と覚悟に基づいて諸君と関わっている(きた)ことは、最後に知っておいてくれ。(以上)