気質と言動・・・ナチス政権下のR・シュトラウス



 先日「薔薇の騎士」について少し書いた。私は、「薔薇の騎士」だけではなく、R・シュトラウスの音楽は基本的に好きである。もっとも、その「好き」は、ベートーヴェンやバッハ、マーラーといった人を「好き」だと言う時の「好き」とは違い、人間観や哲学のようなものに心引かれるわけではなく、体育会系の快感とでも言うべき性質のものである。「感動的だ」と言うよりは、「面白い」「気持ちがいい」と言うのが形容としてふさわしい。私が聴いたことのあるR・シュトラウスの作品の中で、内省的な印象を受け、聴きながら何かを考え込みたくなるのは、「23の独奏弦楽器のためのメタモルフォーゼン」という、終戦間際に書かれた作品番号さえ与えられていない作品くらいだ。

 よく言われるように、この人のオーケストラを操る技術というのは、彼の時代にあっては並はずれているのであって、「オーケストラの魔術師」という称号は、M・ラヴェルよりもより一層この人にふさわしいと思う。その豊満華麗なる響きに身を委ねることは快感だ。

 ところが、かつて私は、1933〜1945年、すなわちナチス時代のR・シュトラウスについてわだかまりを感じていたことがあった。20世紀に生きたドイツの音楽家について語る時は必ずぶち当たる壁である。

 R・シュトラウスという人は、生前から国内外で高い評価を受け、音楽界における名誉を一身に集めた英雄である。しかしながら、彼の伝記というのは思いの外に少ない。少なくとも最近の日本で、簡単に手に入った伝記としては、ヴァルター・デピッシュによるもの(1994年、音楽之友社)、安益泰、八木浩によるもの(1964年、音楽之友社)くらいしかない(どちらも現在は品切れ)。そして、後者は未見であるが、前者は、ナチス時代のR・シュトラウスについて、ほとんど何も語ってはいない。

 クルト・リースの『フルトヴェングラー 音楽と政治』(1966年、みすず書房)では、ナチスではなく常にドイツ国民の側に向きながらユダヤ人の仲間を守り、ナチスから最大限の妥協を引き出そうと務めたフルトヴェングラーの対極にある人物として描かれる。R・シュトラウスは、自分の地位と金のために仲間であるユダヤ人と正義とを売り渡した人物である(もしかすると、これだけ有名な作曲家であるにもかかわらず、伝記があまり書かれなかったのは、このようなR・シュトラウス観が一般的であったからかも知れない)。全体としては「名著」と評価していい本だけに、私は、長くこの本の影響を受け、R・シュトラウスに対して屈折した思いを抱いていた。

 一方、山田由美子『第三帝国のR・シュトラウス』(2004年、世界思想社)は、反対に、R・シュトラウスを、ナチスの時代にあってあらゆる方法で抵抗を試みた人物として描く。

 ここで詳細に分析するには及ばないが、この本を読んで、私は山田氏の「勝ち」ではないかと思った。クルト・リースの『フルトヴェングラー』がいくら名著だとはいっても、フルトヴェングラーについては行動の裏の真意を探ろうと務める一方で、R・シュトラウスについては、人間の思想と行動は一致し、駆け引きなどは存在しないという楽観的で安易な立場に立って評価しているように思われた。なるほど、山田氏が言うとおり、R・シュトラウスは国外に出ても、敬意をもって歓迎されたことが間違いない人物であり、ホフマンスタールツヴァイクといった親密な関係にあったオペラの台本作者や、息子の嫁がユダヤ人であったこともあって、危険で面倒な思いをしながらドイツ国内に留まる理由など無かったのである。

 山田氏の本を読んで、いささか「安心」した私であるが、ここで、思い至るのは、優れた音楽を作った人間が、モラルにおいても優れていなければならないかという古くからある問題だ。わたしが、上のようなことを考えていたのは、R・シュトラウスの音楽を魅力的だと思えば思うほど、彼がナチスの協力者であったとすれば許せず、また、魅力的な音楽にもだまされているような不愉快を覚えたからである。もちろん、これは芸術、中でも抽象性が高く、従って精神を表現する度合いが非常に強い「音楽」だったからである。これは音楽の宿命と言っていいだろう。私にとって体育会系の作曲家、R・シュトラウスにしてやはりそれが避けられないのである。

 では、R・シュトラウスナチスの時代を生き抜くことが出来たのは、ナチスに対する表面的な妥協、カメレオン的な処世術の結果だろうか?

 抑圧された時代を生き延びた音楽家の代表として、もう一人、私の頭にすぐ浮かんでくるのはショスタコーヴィチである。スターリン体制下のソ連で、何度も批判にさらされ、粛清を恐れながらも、最後までソ連国内に留まって天寿を全うした。彼は、本心を言葉では絶対に語らない人だと言われるが、ソロモン・ヴォルコフ編の『ショスタコーヴィチの証言』(1979年、邦訳は中公文庫BIBLIO20世紀)には、スターリン時代の彼の内面が、比較的素直に吐露されていると思われる。それを読むことは、昨今の日本の教育現場の息苦しさもあって、私には非常に苦しい。そして、何種類かの伝記を読んでも、彼がなぜ亡命という道を選ばず、自殺することもなく、苦しい思いをしながらソ連で作曲を続けたのか、私にはどうしても分からない。

 スターリンの犯罪的行為は基本的に国内問題だったが、ヒトラーのそれは対外的な部分を多く含むので、R・シュトラウスショスタコーヴィチを同列に論じることには少し無理があるだろう。しかし、二人が生き延びることに成功した理由は共通する。それは、音楽における圧倒的な能力と国際的名声だ。それらによってこそ、ヒトラースターリンも彼らを消すことが出来なかった。処世術など本質的ではなく、些末なことに過ぎない。これは、私のような凡人には羨ましいことである。

 一方、二人の気質の違いはあまりにも大きい。簡単にいってしまえば、R・シュトラウスという人は陽気な楽天家であり、ショスタコーヴィチは神経質で悲観的な人物である。ショスタコーヴィチの15曲の交響曲のうち10曲が短調であることは、その一つの象徴的な現象である。R・シュトラウスの作品には影も深刻さも感じられるものが少ない。

 私は、ショスタコーヴィチについて調べながら、ナチス時代のR・シュトラウスが誤解されたとすれば、ここにこそ原因があるのではないかと思うようになった。つまり、人はある人物の心情や思想を考える時に、外に表れたものによってそのまま判断できると考える場合と、裏を考えたくなる場合があり、陽気な楽天家は前者、神経質な悲観主義者は後者、となりがちなのではないだろうか?思えば、ショスタコーヴィチほど鮮やかな対比にはならないが、フルトヴェングラーも、R・シュトラウスに比べれば深刻な人物だ。クルト・リースの二人に対するアプローチが一貫しないのは、このことによるであろう。だが、外見と本心が一致するかどうかは必ずしも気質と連動しない。人間というのは面白いものだな、と思う。