絶叫の快感・・・マーラーの交響曲第8番



 昨日、NHK(Eテレ)で、私が大好きなマーラーの第8交響曲を放映するというので、ワイシャツのアイロンがけをしながら(我が家は自主自立=笑)、それでも真剣に見ていた。1時間番組なので、75〜80分かかるこの曲を全てというわけにはいかず、第2部を大幅にカットしていたが、それは仕方がない。私としては、第1部をノーカットで放映してくれればそれでいい、というくらいの気持ちであった。というのは、私が特に好きなのが、約20分の第1部だからである。

 全然知らない人のために書いておくと、この曲は、マーラーの生前に演奏された最後の交響曲となる。巨大な編成が必要なことで有名で、1910年にミュンヘンで初演された時には、オーケストラ171人(離れた場所に置かれたブラスバンド含む)、声楽858人(独唱者8人、少年合唱、二群の混声合唱)、これに指揮者のマーラー自身を加えて、1030人で演奏された。そのため、一般に「千人の交響曲」と呼ばれるようになったが、マーラー自身はこのタイトルをあまり好んではいなかったらしい。演奏者を1000人にすることがマーラーの目的だったのではなく、表現したいことを表現できるようにした結果が1000人だったのだから、「1000人」にばかり気を取られるのは不満で当然だ。

 昨日、テレビで放映していたNHK交響楽団の演奏では490人、私の唯一のライブ体験である2004年5月19日の東京都交響楽団ガリー・ベルティーニ指揮、埼玉会館)による演奏は、私が大雑把に数えたところで、400人弱であった(これが演奏可能な下限だろう)。初演時に比べると半分以下だが、この曲の演奏が巨大プロジェクトであることには変りがない。NHK交響楽団の歴史においても、1949年、1992年、そして今回と、わずかに3回目らしい。初演の時からあまりにも好評だったので、1911〜12年のシーズン(8ヶ月くらい)に、ウィーンだけでこの曲が13回演奏されたというのは驚異である。

第1部は9世紀前半の聖職者ラバヌス・マウルスによるラテン語の讃歌「Veni, creator spiritus(来たれ、創造主なる聖霊よ!)」(ただしマーラーによる改変多い)、第2部はゲーテの『ファウスト』第2部の最後の場面(第5幕第7場)で、「交響曲」とは言っても、基本的に声楽曲である。

 私が以前、マーラーを取り上げた時に触れた第9番や第3番、特にそれらの最終楽章というのは、人間の心を揺さぶり、沸き起こってくる感情をじっと見つめるといった内省的な音楽であった。ところが、第8番の第1部はまったく違う。正反対と言ってよい。もともと感情の大爆発があって、それを更に煽り立て発散させるという絶叫調の音楽である。これだけ巨大な編成を要求すると、それが空回りする危険性も大きくなるような気がする。そうなったら惨めなものだ。ところがこの曲は、メロディーも構成もオーケストレーションも本当によく出来ていて、一切飽きさせることなく、人の感情をひとつの大きな固まりへとまとめ上げていく。これは、編成や長さに見合う内容があるということであり、マーラーにして初めて為し得る偉業であろう。

 人間、いや生き物としてこの世に生を受け、生きているということはありがたいことであり、素晴らしいことである。それを強く思う時、人はその喜びと感謝を誰かに向って語り、叫ばずにはいられなくなる。そして、その叫びを受け止めてくれるものとして神を見出す。神に向って発せられるその叫びの大きさは、喜びと感謝の気持ちの強さを表すだろう。曲があまりにもよくできているので、聴いていると、その大きな感情の中に引きずり込まれ、自在に翻弄されるが、それがどうしようもない快感である。私にとって、この曲の第1部はそんな音楽だ。

 第2部は、今さらさらと片手間に感想めいたことを書くには大きすぎて、私の手に余る。