日の丸君が代訴訟の最高裁判決



 月曜日に、日の丸君が代訴訟の最高裁判決が出た。あまり多くの報道をチェックしてはいないが、減給や停職という重い処分に一定の歯止めをかけたことを評価する論評が多かったようだ。確かに、「職務命令は合憲→従わない者にはどんな処分をしてもよい」という論理に比べれば多少はマシである。しかし、「やれやれ」と言うにはほど遠い。

 戒告まで含めて全ての処分取り消し判決が出たらそれでいいかというと、そういうものではない。職務命令そのものが違憲となればよいか?確かに、そこまで行けば立派なものだが、私は権力の恐ろしさをそれほど過小評価は出来ない。つまり、戒告とか減給とか停職とかいった処分でなくとも、権力というのは、気に入らない人間にいくらでも不利益を与えることは出来るのである。例えば、私の場合、減給1ヶ月、いや停職6ヶ月よりも、単身赴任が必要な学校に飛ばされることや硬式野球部の顧問になることの方が、はるかに不利益は大きい。しかし、それらは、少なくとも形式上は「処分」ではないし、「平居は日頃から反抗的だ」などと異動理由を公言するわけもない。動機付けという重要な役割を無視して、法令上の事だけ問題にすれば、そもそもいちいち人事の理由を告げる必要はないのである。職場内の人間にはそれとわかる見せしめ人事の一つも行っておけば、「処分」とは関係なく、大きな心理的圧力をかけることは簡単だ。だから、最高裁が停職と減給の処分取り消し判決を出したからと言って、それはマイナスやゼロよりマシ、というごくごく些細なレベルの話に過ぎない。権力というのは本当に恐ろしいものなのである。

 「教育基本条例」なる、民主主義とはまったく相容れないような化け物を明確に見せながら、そういう人間が選挙で当選できるのが今の世の中である。日の丸君が代問題の根本的解決は、国民が基本的人権とか、精神の自由とか、民主主義というものについてのデリケートな認識・見識を持つことによってしか実現しない。