校訓唱和に「宗教だ!」の声



(1月19日付学級通信より)

礼節を貴び、師長に順うべし。

至誠を本とし、廉恥を重んずべし。

忍耐を旨とし、業務に励むべし。

 生徒会が音頭を取って、突然、朝のHRで「校訓唱和」なるものが行われたところ、諸君から「宗教だ!!」とのブーイングが起こった。私の前任校でも前々任校でも、応援団がリードして校訓唱和は行われていた。校訓は学校の基本方針もしくは建学の精神を表すものだし、学校が目的集団である以上、それを周知徹底させるために唱和するというのは、あながち間違いとも言えない。頭ごなしに「唱和しろ」と言われて反感を示したことは、批判的な生き方をしている証拠として大いに評価はするが、問題は必ずしも唱和それ自体ではないのではないか?

 職員室で、校訓唱和が話題になった時、宮水OBである某先生が、「戦争終わって世の中変わったのに、校訓は変わらないっての、いいんすかねぇ?」とぼやいていた。意外な人が私と同様なぼやき方をするものだ、と驚いた。確かに、校訓が制定されてから既に100年以上。途中、太平洋戦争という大事件があって、敗戦(1945年)を境に、世の中は大きく変わった。ごく簡単に言えば、天皇中心の「上から下へ」の世の中が、国民中心の「下から上へ」の世の中になった(ことになっている)。だから、憲法も変わり、教育勅語が廃止されて、教育基本法が制定されたのである。しかし、宮水の校訓は変わらなかった。何とも旧態依然とした雰囲気が漂う。

 体制の変化に関係なく価値を持つ、とみんなが認めて変えなかったのか、何も考えずにそのままになったのか?『宮水100年史』を読む限り、後者のような気がする。ただ、今の校訓に問題があったとしても、それが指摘され、変えようという動きが起こっていない以上、校訓は生きている。その校訓に、どのように向き合うのがいいのだろうか?私自身も少し悩む。