「戦争交響曲」または大衆というもの・・・ベートーヴェン頌(番外編)



 昨日、「フィデリオ」について書いた。初演がさんざんで、改訂したにもかかわらず世の中に受け入れられなかった「フィデリオ」が、8年後に大改訂されて日の目を見ることになったのは、「ウェリントンの勝利(戦争交響曲)」が大ヒットし、人々がその作曲者の作品を探し求めるようになったからである。

 「フィデリオ」について考えたことをきっかけに、そういえばそんな曲があった、と思い出したが、我が家にはこの曲の録音がなかった。

 いくつかのベートーヴェン伝でも、伝記作者は口を極めて、この曲が「駄作」であると評する。最も辛辣なのは山根銀二氏で、氏は「生活の上でも創作の点でも、ゆるみのひどい最低のところをあらわす作品になってしまったと、いわざるをえない」と書く(岩波ジュニア新書)。だから、録音もあまり売られておらず、私自身も、今に至るまで聴いたことがなかった。なぜか、「ベートーヴェンの駄作の筆頭とはどんなものだろう」という好奇心を持つこともなかった。

 今回、ようやくこの曲の録音を手に入れて、聴いてみた。「交響曲」とはいっても、2楽章構成で、たったの15分。第1部が「戦争」、第2部が「勝利」と題された標題音楽である。特に第1部では、大砲、小銃、太鼓、信号ラッパを左右に配置して、イギリス軍とフランス軍が向き合う戦場をリアルに描こうとする。う〜ん、まだ1回しか聴いていないが、確かに安っぽい。フーガになっている第2部はまだ少しマシだが、第1部は聴いている私自身が情けなくなってくるほどである。

 この曲が大ヒットしたというのは、「大衆」というものの性質を物語っていて面白い。大衆は、大げさな表現やリアルな演出、景気の良い主題をこそ好むものだということだ。大衆好みの音楽は、大ヒットしても長続きしない。当初は受け入れられない作品が、やがて真価を認められ、「古典」へと成長を遂げる。そんなことも再認識させてくれる。

 しかし、ベートーヴェンが血迷ってこんな作品を書き、それが大衆に支持されて大ヒットしたからこそ、「フィデリオ」は日の目を見る。いかにも世の中、万事「塞翁が馬」である。一体何が幸せで、何が不幸せか見当がつかない。それはベートーヴェン自身にとってだけではない。彼の芸術を享受し、「フィデリオ」を愛する、その後の人類全体にとってである。