プテラノドンはいるかも知れない



(2月29日付学級通信より)


 先日、あるクラスの授業の冒頭、生徒から突然、「先生!プテラノドンって本当に絶滅したんですか?」と質問された。生徒の側からすれば、単なる授業つぶしであったかも知れない。質問してはみたものの、「当たり前だ」という以外の答えが返ってくる可能性は、少しも考えられていなかったに違いない。

 ところが、私は「分からん」と答えた。生徒たちの顔に、「何言ってんだ、このオッサン!」という驚きが、ありありと見えた。続けて私は以下のように話した。

 「クニマスという魚は、1940年頃に田沢湖で「絶滅した」と考えられていた。ところが、一昨年、山梨県の湖で生存が確認された。「いる」か「いない」かという問いで、実物が一つでも見つかれば、「いる」は証明できる。ところが、机の上とか教室の中といった狭い範囲ならともかく、ある程度スケールが大きくなると、限りなく「いない」可能性が高いと言うことは出来ても、「いない」と完全に証明することは不可能である。地球は、その隅々までが私達人間の視界に入るほど狭くはない。だから、プテラノドンは、いない可能性が非常に高いというだけだ。もしかすると、ティラノサウルスだっているかも知れない。

 このことは、諸君が何かをする時にも当てはまる。100mを13.8秒で走れる人は、「14秒以内で走ることが出来る」ことは証明できる。しかし、「12秒代で走る」ことについては、「今は出来ない」と言うことは出来ても、「今後も含めて出来ない」と言うことは出来ない。練習すれば出来るようになるかも知れないからだ。陸上部に入って、毎日2時間、2年間練習を続けても13.1秒までしかタイムを縮められなかったら、その時は「出来ない」と言えるだろうか?いや、出来ない。まだ練習が不足しているのかも知れないし、練習方法が悪いだけかも知れないからだ。こう考える時、努力すればするほど、「出来ない」と言える可能性が高まるだけで、100%に達することは絶対にない。あるとすれば、死んだ時に、過去形として「出来なかった」と言えるだけだ。地球上と同様、人間もまたその可能性を明らかにし尽くすには、広くて深すぎる。」

 そう、「ある」「できる」は証明できる、「ない」「できない」を証明することは難しい。

 

(裏面)2月19日付『朝日新聞』より、「Backstage テレビ地上波から消える時代劇」平居コメントは無し。