久しぶりの山岳部・・・井戸沢小屋・刈田岳へ



 週末、本当に久しぶりで、前任・仙台一高の山岳部に付き合って山に行っていた。もともと、一高の山岳部は季節に関係なく山行をしていたのだが、現在たった1名しかいない現役部員Sが危ない冬は山に行かない、と言い出したとかで、冬場が実質お休みになってしまったのである(2月に日帰り山行を行ったが、私は行かず)。

 あいにく、出発地となる標高1100mの澄川スキー場でも雨、リフトを3本乗り継げば雪に変わるかと思ったらやっぱり雨、という嫌なコンディションであった。気温は気味悪いほどに高い。手袋なしでも行動できる。4時間ほどかけて井戸沢小屋という学校所有の山小屋(1475m)に着いたが、やっぱり雨、夜中も雨、朝起きてもまだ霧雨が降っていた。

 今日は、まず刈田岳(1758m)に登る。昨年までは、1月か2月に来ることが多かったが、1800mにも満たないこの山の頂上に立てることはほとんど無かった。それほど、厳冬期は荒れている山である。今回参加した昨年・一昨年の卒業生も、積雪期としては初めて立つ頂上である。穏やかな天気だが、景色は見えない。早々に再び井戸沢小屋の所まで戻り、井戸沢の急斜面を下って、聖山平経由でスキー場に下りた。既に雪はグシャグシャ。春である。

 ところで、Sは、もともと、雪のある山に行くのは嫌がっていたわけだから、いったいどんな反省や感想を口にするのやら、と思っていた。それは、半ば「心配」だったわけだが、どうやら杞憂だったようだ。下山するバスで私の隣に座ったSは、目を輝かせていろいろな話をしてくれた。

 Sが繰り返していたのは、読図の楽しさである。夏山では、地形図を読めるようにしろと言っても、道標は整備されたところが多いし、分岐点で選択さえ間違えなければ、道なりに目的地に着くのだから、読図の必要性は切実ではない。ところが、道の一切見えないこの時期、視界もさほど良くない中で、地形図が読めなければ、山小屋にたどり着くことさえできない。緊張した読図を強いられる。

 幸いにして、Sはそれを「楽しい」と認識したようだった。これは正しい。課題が大きくなるほど、それを「楽しい」と感じられるのは、向上心の表れだからである。私は、ひとしきりSの話を聞くと、以下のようなことを言った。

 「1月、2月も行けばよかったと思うだろ?私たちだって、命かけて生徒の引率なんてする気ないんだから、そんな際どい所に連れて行くわけないさ。今日、楽しかったと思えたのは正解だ。本当は、冬テント泊の山行も経験できるとよかった。今日、君が実感した通り、冬山は夏山の数倍難しい。だけど、難しければ難しいほど、読図にしても、生活技術にしても、基本的な技術が身に付いているかどうかが明らかになる。自分で体験したことのないことは、「危険そうだ」などという余計なことは考えず、まずやってみるべきなのだ。自分の出来る範囲、想像の及ぶ範囲で何かをしていれば、結局、いつまでもその範囲のことしかできない。それは伸びしろの大きい若者としてどうなのかな?」

 Sは頷きながら私の話を聞き、「山岳部っていい部活ですよねぇ」と言った。

 その山岳部も、全国的に絶滅危惧種で、仙台一高でも来月2年生になるS一人。果たして、来月、新歓山行は行われるのであろうか?