純粋な人は美しい!



(5月9日付学級通信より)


 北高の仮設校舎に来て丸1年が経った。

 さて、4月30日の夜、テレビで北海道新得高校に通う2人の高校生を追った番組を見た。北海道では珍しくない、全校生徒わずか100人の小さな学校である。2人は、それぞれラグビー部と野球部に所属するが、それが部員の全て。つまり、野球部もラグビー部も部員は1人ずつということになる。もちろん、試合になんか出られない。同じ境遇にある者同士、体力トレーニングのような共通する練習は2人で行い、励まし合い、切磋琢磨しているという。彼らは何のために、そんな部活を続けているのだろう・・・?

 また、連休中、私はホッケーという種目のオリンピック予選を気にしていた。特に男子は、長く予選敗退を繰り返し、44年間オリンピックに行っていないという。こちらも、彼らはなぜホッケーに打ち込んでいるのか、という疑問が起こってくる。プロになってお金が稼げるわけではない。競技人口が少ないからオリンピックに出やすいかと言えば、決してそんなことはなく、むしろ予選の壁が高くて難しい。メリットは容易に思い浮かばない。

 しかし、よく考えてみると、「〜のために」と考えた時点で、既に動機としては不純であるに違いない。メリットが思い浮かばないということは、それらのスポーツをすることそのものが目的であり喜びだ、ということである。私は、それを美しいと思う。金銭的利益も名誉も得られないにも関わらず、自分が本当に好きなこと、自分を高めるためのことに、ひたむきに取り組む人は美しい。そして、美しい人間は必ず人の心を動かすものらしい。


(裏面)5月8日付『朝日新聞』「耕論 義務教育に留年は必要か?」より、町村信孝氏と園山大祐氏の論を引用

平居コメント:「留年」をどう考えるかは、諸君の一部にとっても切実な話だが、実は各国の国民性や文化を背負っていて、なかなか難しい(面白い)問題なのである。これらを参考に考えてみよう。ただし、ここで問題になっているのは小中学校での話。では、高校となると話は違うのか?これも一考に値する問題だ。3人の意見が掲載されていたが、スペースの関係で1名分を省略せざるを得なかったのは残念!!