「不作為」という「作為」



 1週間ほど、サボっていた。公私ともに多忙を極めていたのである。最低限、学級通信からの転載くらいは出来そうなものだが、この2週間、学級通信も出していなかった。こちらは多忙が原因ではない。公開するほどの記事がなかったというのでもなく、ネタ切れで出せなかったということもない。積極的に出さなかったのである。

 注意深い人は気が付いたかも知れない。身内の恥をさらすようで少し心苦しいのだが、1週間あまり前に、8件ほど怪しげなコメントが寄せられた。管理者である私には投稿者のIPアドレスが分かっているので、同一人物による仕業と分かる。非常に幼い嫌がらせで、「調子のってんな」「ふざけんな」「メガネ割るぞ」などと書いてあった。御丁寧に、投稿者名は私だったりする(笑)。いや、「嫌がらせ」というほどの気持ちがあったかどうかさえ分からない。それほど幼い。こういうことを「楽しい」と思うようでは、授業でやっていることが「楽しくない」のは当たり前のことで、気の毒なものだなと思う一方、ひどく情けないような、虚しいような、うんざりした気分になってしまった。

 いたずらも、日頃関わり合うことがなく、興味関心もない人間に対してはするはずがないので、教室内での会話も合わせて考えると、ほぼ間違いなく私が担任をしているクラスの生徒であろうと想像が付いた。特定の1人のことだし、これぐらいいたずらのレベルが低いと、言っても無駄だなとは思ったが、一応、いかにも不機嫌な表情で、クラスで「説教」らしきことはした。

 最近、他にもいろいろな粗相があることでもあるし、生徒に「何か」を考えてもらうためにはどうしたらよいか、そのためには、最近平居がいつもと違うと思ってもらうことが必要だ。さて・・・どうしたものか?と考えた結果、その方法の一つとして、学級通信を出さないことにした。「する」のではなく、「しない」ことも刺激の一つである。他愛もない方法ではあるが、私が浮かない顔で教室に現れ、あれだけ毎週出ていた学級通信を配ることもないということによって、何だか変だと思い、何かを考えて欲しいのである。


(補)もちろん、最近、コメントについて「投稿したコメントは管理者が承認するまで公開されません」などという表示がでているのも、いたずら事件によって、私が設定を変えたためである。ばかばかしいいたずらによって、世の中は窮屈になっていくということを自ら演じているのは疲れる。