芸術家と聖職者は・・・



 週末は、呑気に2日とも音楽を聴きに行っていた。

 土曜日は、仙台フィル定期演奏会。曲目は、バッハの管弦楽組曲全曲という、フル編成のオーケストラらしからぬものだったが、指揮者として、バッハ演奏の世界的権威であるヘルムート・ヴィンシャーマン氏がお見えになるというので、行かないわけにはいかないと思った。

 なにしろ御歳92歳!私はかつて、92歳と2週間の朝比奈隆氏が指揮台に立つのを見に行った(聴きに行った)ことがあるが、ヴィンシャーマン氏は92歳と3ヶ月なので、私がステージに接した芸術家の最高齢記録となる。「芸術家と聖職者は歳を取るほどありがたい」という言葉もあったやに記憶する。それらの職業が、ひときわ「人間」を知ることを必要とすると考えれば、けっして的はずれな考え方ではない。

 ヴィンシャーマン氏は、東北大学混声合唱団や、私がかつて在籍していた仙台宗教音楽合唱団の常任指揮者・佐々木正利氏(岩手大学教授)の、ドイツ・デトモルト音楽大学における恩師なので、仙台とは縁があり、私も1993年(マタイ受難曲)と1998年(ロ短調ミサ曲)にその演奏に接したことがある。その時のオーケストラは、彼の手兵・ドイツバッハゾリステンだったから、仙台フィルを振るのは初めてだろう。92歳になって、ドイツから仙台に来るだけでも大変なのに、馴染みのない初めてのオーケストラを振るというのは、並々でないエネルギーを必要とすることに思われる。

 いや、なんともかくしゃくとしたものである。歩く姿こそ、それなりに老人であるが、指揮ぶりは70歳だと言われても驚かないほど溌剌と動作が大きく、明瞭である。ヴィンシャーマンが振っていると知らず、目隠しをされて聴いた時に、果たして92歳の老大家の演奏であると気付くかどうかに自信はないが、少なくとも、知っていて聴けば、やはり素晴らしいと思う。特に、第3番のアリアと、アンコールで演奏されたカンタータ第147番のコラールが秀逸だったから、92歳は「祈り」の音楽にこそ本領を発揮した、ということなのだろう。

 92歳の巨匠が目の前にいるという情報に基づいて音楽を聴くのは、ある意味で不純なことにも思える。しかし、晩年のブルーノ・ワルターがウィーンに登場した時、聴衆は起立して巨匠をステージに迎えたという話もある。音楽が他の要素をまったく持ち込まず、純粋に「音楽」だけで評価されることはむしろ少ないと思う。いささか言葉は安っぽいが、演出のひとつと思えば、そのこと自体に酔うのもあながち悪いとは言えない。私はそれなりの敬意をもって、姿勢正しく聴いていた。

 晩年の朝比奈隆は、毎回、オーケストラがステージから去った後も拍手が鳴りやまず、一人ステージに呼び出され、ステージの前に集まってきて拍手を続ける聴衆に囲まれていた。それは「一般参賀」と呼ばれ、正直言って演奏の質に関係なく、常態化し儀式化していた。仙台の聴衆は、そんなことをしたりはしない。終わりは潔かった。


 日曜日は、上にも登場した仙台宗教音楽合唱団の第34回演奏会があった。曲目は、モーツァルト編曲によるヘンデルの『メサイア』である。なんと、ヴィンシャーマン氏ご臨席、指揮台に立つのは教え子・佐々木正利氏ということで、演奏が始まる前に、佐々木氏からヴィンシャーマン氏が紹介され、客席にいたヴィンシャーマン氏が立って拍手を受けるという珍しい出来事があった。

 さて、モーツァルト編曲の『メサイア』は、録音でも手に入れるのが難しく(というより高い盤しかない)、私も持っていない珍曲なのだが、私は2006年にバッハ・コレギウム・ジャパンによる演奏で聴いたことがある。また、ドイツ語による『メサイア』は、カール・リヒター指揮の演奏をカセットテープで持っていたので、かつて何度か聴いたことがあった。

 ところが、今回、久しぶりでモーツァルト編曲、ドイツ語による『メサイア』を聴き、意外だったのは、モーツァルトによる管楽器パートを中心とするオーケストレーションの大幅な改変についてはさほど違和感がなかったものの、ドイツ語で歌われたことによる違和感が非常に大きかったことである。私は声楽曲をよく聴くが、正直言って、歌詞はあまり意識していない。およそどんな内容のことが歌われているかぐらいは知っていても、詳細は分からないまま聴いているのが普通である。作曲者も演奏者も、歌詞と音の結び付きには非常に注意を払っていて、私も歌う側だった時にはそれなりに意識していた。ところが、聴く側に立つと、面倒だということもあるにはあるが、さほど重要なことには思えなくなってくるからデタラメである。ともかく、ドイツ語で歌われたことによって、私にはなんだか知らない曲のように聞こえた。英語とドイツ語、言葉の響きはこれほどまでに異なり、曲全体を支配するものなのだ。

 かつて在籍した宗教音楽合唱団も、私が知っている人は、ステージ上にわずか7人となっていた。しかし、こうして聴いていると、久しぶりで演奏に参加してみたいなあ、という気持ちが強まってくる。そうそう、名古屋のマーラーでも混ぜてもらおうかな・・・。思わずそんな邪念を持つ。