寂しい航空券とビザ・・・今年の夏は中国


 ようやく夏休みとなった。閉講式は20日だったのだが、4月にインフルエンザで学年閉鎖が3日間あったので、現在のせこい学校は、夏休み中に補充をするということを言い出し、この2日間、実習中心の授業をしていた(あと1日は31日に宮城丸体験航海という昨年出来なかった行事)。私の授業はないが、追指導の後始末やら、保護者面談やら、3年生の進学課外やらで、業務から開放されるということはなかなかない。

 それでも、今年は例年に比べると、時間が比較的取りやすい。夏季休暇5日に、今年なんと50歳を迎える私には、リフレッシュ休暇なるものが3日与えられる。部活動に縛られている同僚には申し訳ないが、日曜出勤の振替休日も動員すると、進学課外の時間割変更をし、「教育課程研究会(学習指導要領を現場に徹底させるための伝達講習会)」という上意下達・管理統制の象徴のような出張を他の先生にお願いすることで、年休を取らずにまるまる2週間休めることが分かった。

 専門変え(中国明代思想史→現代文化史)をしてから3本目の論文を6月に出すことが出来たが、ネタ切れへの微かな不安を感じるようになってきた。そこで一大決心をし、家族に頭を下げて、久しぶりで「学術調査」のため、単身、中国へ行くことにした(というわけで、夏休み中飲めません)。8月5日から17日、場所は延安がメインである。とはいえ、かなり流動的で未定に近い。

 予習はもとより、あれこれと準備が必要である。パスポートが失効していたので、新たに取得した。前回(1999年)は、石巻の合同庁舎で申請するよりも、県庁に行った方が面倒がないので県庁に行った。今回は、どうしても県庁に行く時間的余裕がないので、石巻で申請した。驚くほど簡単になっていた。発行までにかかる日数も、県庁と同じになっていた。航空券は、先月半ばに買った。往路は、仙台から中部国際空港と上海で乗り換え西安まで、復路は、北京から仙台への直行便である。「eチケット」という紙切れ(コピー)を1枚もらった。基本的にチケットは存在せず、電子データで処理するのだが、一応予約をしたという確認のために、この紙切れを持って歩くことになっている。中国も、出国航空券を持っていれば、2週間以内の滞在はビザが要らなくなっている。

 「eチケット」も中国のビザなし入国も、かつて経験があるので、「変わった」という驚きがあるわけではないが、なんだか味気ないなぁという気持ちはやはり強い。航空券にしても、ビザにしても、不要であれば機能的ではあるけれども、どこか遠くへ行く、国境を越えるというロマンがまるで感じられない。パスポートに出入国の小さなスタンプだけしか残らないのは、なんとなく寂しい。

 地球上には国境なんて無い方がよい。誰でもどこへでも行くことが出来、変な縄張り意識を持たず、全ての人が仲良くできるなら、それに越したことはない。ビザを取るのは、手間だけでなく金もかかる。かつて小田実は、貧乏旅行者のバイブル『何でも見てやろう』の中で、「ビザを買う」という表現を使っていた。しかし、ビザ取りには様々なドラマがあり、ビザ発給の条件にも様式にもお国柄が確かに反映されていて面白かった。航空券も、細長い紙の束のようなものの方が味わいがあった。IATAの共用航空券ならともかく、航空会社が独自に出していたものは、表紙を見ただけでワクワクするような「お国ぶり」があった。

 昔を知らず、航空券もビザも無いのが当然という世代が存在するはずだ。彼らが国際線に乗る時の意識は、私とは全く違うはずだし、意識が違えば、旅行の仕方も目的も、外国人とのコミュニケーションの取り方も、何もかもが違ってくるだろう。航空券やビザが不要になったことは、単なる情緒の問題には止まらないに違いない。