仙石線の50分化は是か非か?



 先週金曜日の新聞(河北、石巻かほく)に、震災後いまだに不通となっているJR仙石線を、2015年の全線復旧に合わせて、松島で東北本線に乗り入れられるようにし、約50分で仙台に出られるようにする、という記事が載った。

 石巻から仙台への利便性だけを考えると、これは非常にいいことである。仙台まで、片道1時間以上の電車通勤を7年間もした私は、当時、石巻を出た電車が、陸前小野を過ぎると、野蒜を経由するために大きく東へ迂回すること、東塩釜石巻が単線であること、快速電車が普通電車を追い越すができないという駅の構造、距離の割に多すぎる駅の数、といったものを非常に鬱陶しく感じていた。野蒜迂回部分を内陸側に数百メートル移すということだし(石巻と仙台との関係だけを考えるなら、これではまだ不十分で、小野から高城町に直行して欲しいところだが・・・)、これで駅間隔が長く、線路が直線的な東北本線に松島から乗り入れできれば、確かに、利便性は向上する。

 しかし、これには大きな問題が伴う。仙台に出やすくなればなるほど、人々は買い物や通勤・通学で、仙台に流出するようになるからである。その結果、石巻の商店はますます人が入らなくなり、石巻の高校は斜陽化が加速するだろう。強い場所と弱い場所が結びつけば、利は強い場所により多くもたらされるに違いない。

 石巻は、仙台のベッドタウンとしての道を進むのか、独自の経済・文化圏を形作るのか、その点をはっきりさせた上で街作りをしなければならないと、私は相当以前から思っている。しかし、仙石線の利便性が向上し、三陸自動車道が片側2車線化(既に工事は急ピッチで進んでいる)されれば、そんな議論を待つまでもなく、物理的現象として人は仙台に流れるだろう。それが徹底されれば、それはそれでいいかもしれない。いささか極論めいた書き方だが、石巻はただの住宅地であり、商店は食料品や日常雑貨だけを扱っていればよい。

 しかし、仙石線東北本線に乗り入れても、片道50分かかるらしいし、交通費もバカにならない。しかも、50分は、あくまで仙台駅までの時間である。その結果、確かに今まで以上に仙台に流れはするけれども、仙台と石巻の都市としての役割分担は中途半端なものになる。すると、石巻は中途半端に弱体化する。少し弱体化すると、「やっぱり石巻ではダメだ」という意識を持つことが増え、それまで以上に、無理をして仙台に通う者が増える。一方で、石巻に残った者は、ある種の劣等感の中で生きていくことになり、それは石巻という地域全体の劣等感となっていく。いっそのこと仙台に住んだ方がいいと、移住する人も更に増えるのではないか?私の思い描くシミュレーションはこんな感じだ(石巻負のスパイラル)。

 今でも、仙台に通う人は少なくない。その人たちが、大きな時間的、経済的ハンディを背負っているのも、決して幸せなことではない。それは、意識されないかもしれないけれど、社会全体にとってのマイナスでもあるはずだ。

 仙台まで30分、300円で出られるなら、石巻が完全に仙台の衛星都市になるのもいいかもしれない。しかし、仙石線が50分になるという程度なら、かえって便利にはならない方がいいような気がする。そして、なにもかも「仙台」なのではなく、気仙沼石巻、古川、白石といった地方都市が独自の産業と文化と魅力とを持ち、「みんな違ってみんないい」という状態を作るためにこそ、積極的に動くべきなのだ。