大相撲の隠れたドラマ



 大相撲が特別好きだというわけではないが、私はどんな分野、どんな種目であれ「一流」が大好きなので、一流の力士とその取り組みはほどほどに気にして見ている。誰のファンということもない。

 初場所は昨日、日馬富士がめでたく優勝した。横綱ともなれば、優勝して当たり前、96(クンロク=9勝6敗)では罵声を浴びせられるとなると、優勝によって責任を果たしたとの安心感はどれほどのものだろうか、と想像する。大関までは優勝が喜び、横綱になると優勝は安心、であるに違いなく、横綱というのは、名誉ではあれ、やっていて楽しい地位ではないだろうな、と同情にも似た気持ちを抱く。

 ところで、昨日、日馬富士が優勝を決めるに先立ち、朝刊には一昨日決まった各段の優勝者が載った。幕下は鬼嵐(モンゴル、30歳)、三段目は浜口(日本、23歳)、序二段は阿夢露(あむうる、ロシア、29歳)、そして序の口は玉皇(たまおう、日本、31歳)である。この小さな記事がひときわ印象に残ったのは、各段の優勝者が、三段目を除くと、ひどく年齢が高いからである。特に、一番下の段である序の口・玉皇の31歳といのは異常な感じがした。31歳と言えば、力士が引退を考える年齢であろう。

 調べてみると、玉皇の初土俵は、なんと15歳の時の1997年春場所である。人より遅いどころか、中卒と同時。大卒すらいる今の大相撲界においては、むしろ早すぎるくらいである。それから12年かけて、2009年秋場所に、自己最高位である西幕下21枚目に昇進した。ところが、そこから上がらないまま、昨年8月に左膝の手術をし、その後二場所を休場した結果、今場所は西序の口11枚目で土俵に上ることになった。だから、もちろん、入門以来16年をかけて、やっと序の口を通過したというわけではないけれども、西幕下21枚目まで12年だって、信じられないほどのスロー出世で、しかも幕下21枚目は取るに足りない地位である。八百長問題の時によく言われたとおり、十両にならないと、力士は相撲協会から給料をもらえない。生活は部屋が賄ってくれるが、現金はというと、幕内力士の付け人を勤め、その力士か部屋から小遣い銭をもらうだけらしい。玉皇が、自分の可能性をどのように考えていたのかは分からない。もしも、自分は幕内には入れそうもないと考えていたとすれば、彼の16年間はどんなモチベーションによって支えられていたのであろうか?

 他の2人もそれなりだ。阿夢露は2002年5月場所で初土俵を踏み、2012年1月場所で十両に昇進したが、57場所目での十両昇進は、外国人として当時2番目のスロー出世記録で、しかも十両に昇進した場所の12日目に右膝の靱帯断裂という重傷を負い、今場所復帰した時には、東序二段44枚目まで番付が落ちていた。

 鬼嵐は、2000年7月に初土俵。2012年7月場所で十両に昇進したが、そこまでにかかった場所数は71で、これは外国人力士として最も遅い記録である。ようやく十両に上ったものの、2場所連続して負け越すと、再び幕下に転落した。今回の優勝で、次の場所では十両に返り咲くのだろう。

 彼らの取り組みを目にする機会はない。そこには「一流」の美はないかも知れない。しかし、横綱であることのプレッシャーに耐えて優勝を争うことに勝るとも劣らない忍耐と、人間的ドラマがあるに違いない。ほんの小さな記事にしかならなかったけれど、それを見ながら、いわば手に汗握る自分がいた。