1.01の法則、0.99の法則



(4月24日付け学級通信より)


 前回予告したとおり、先週末は我が家で桜、梅、水仙が満開になった。花見をするぞ、と呼びかけたところ、2日間で20人の来客があった。とは言え、「女心と春の空」という言葉もあるとおり、春の天気は変わりやすい。日曜日、満開の桜に吹雪とは驚いたが、夕方には青空が広がり、金色の西日がさしてきた。

 話は変わる。

 普通科の教員として、このような典型的実業高校に勤務していると、肩身が狭いということもないが、損な役回りだと思うことも多い。そんな普通科にも、「特権」と思えることがひとつある。それは、学科・類型に関係なく、多くの教室に出入りできることである。生徒もともかく、担任の個性があちこちに表れていて面白い。

 これは必ずしも個性ということではないが、A3の教室入り口には、デカデカと次のような掲示が出ている。

「1.01の法則  1.01の365乗=37.8

 0.99の法則  0.99の365乗=0.03」

 意味分かるよね?1の365乗は、言うまでもなく1だ。しかし、たったの0.01(100分の1)でも増えると、365乗することによって37.8になるし、たった0.01でも減ると、同じく365乗で0.03になってしまう。私は実際に365乗して確かめたりしていないけれど、確かにこの通りなのだろう。もちろん、ここで言う「365乗」は「365日間の継続(積み重ね)」、「増える」「減る」は「頑張る」「サボる」の比喩表現だ。

 私も「朝学(朝の学習)」の時によく言うことだけど、授業でも部活でもバイトでも、ほんの少しの違いが、365日間の継続によって、信じられないほど大きな成果の違いを生む。A3のクラス掲示に書かれた数式は、そのことをひどくリアルに感じさせてくれる。


【遠足は17キロの大行軍!!】

 今週は土曜日が登校日(PTA総会)なので、6日間もあって長い。その代わり、来週はたった2日で、しかもそのうちの1日は遠足だ。

 ようやく目的地が決まった。石巻専修大学の北にある「トヤケ森山(通称:うまっこ山、174メートル)である。そして、何より楽しいことに、学校からすべて徒歩だ。鳥揚、稲井中学校、大瓜経由で12キロ、帰りは石巻駅まで5キロ、合計で17キロとなる。

 歩くのはいい。自然を肌で感じることが出来るし、ものを観察するには実にほどよいスピードだ。15キロくらい歩くと、何事かを成し遂げたような達成感も得ることが出来る。加えて、トヤケ森山は、低いながらも頂上が草原で、石巻最高の絶景スポットである。好天を祈りつつ楽しみにしたい。

(余談)

夜のピクニック』という小説がある。恩田陸という作家が、彼女の母校(茨城県水戸一高)の「歩く会」を舞台として書いたものだ。今でも続くこの行事は、約5時間の仮眠を含めて一昼夜で70キロを歩くというものだ。私の前任校の「強歩大会」も42キロだったし、実はこの手の行事を実施している学校はそれなりに存在する。そこには、作家に、一本の長編小説さえ書きたいというインスピレーションを与えてしまうだけのドラマがある。こんなことを書きながら私がふと思い出すのは、現代文の授業でやったばかりの「コストがかかった情報ほど、真剣に受け止められる」(茂木健一郎『脳を生かす本』)という生物学の法則だ。そう、どんな場面でも、コスト(労力)がかかったものほど高い価値を生む、コストのかかっていないものに価値の高いものはない、のである。


【これは快挙だ!!・・・野球部の1勝】

 スポーツのシーズンだ。来月は12〜13日が支部総体、そこから更に3週間で県総体。1年次から続けてきた部活も、総決算の時期に入った。

 そんな折り、昨日帰りのHRで話したとおり、野球部が大きな1勝をあげたのは、前祝いとしても景気がよい(対涌谷 9−2 8回コールド)。震災後初めての勝利、ということだ。

 野球部の本拠地=第2グランドは仮設住宅が建っているため、現在は約5キロ離れた沼津のグランドに自転車で通っている。グランド状態が悪いので、「支援」で入れてもらった土を使い、自分たちで整地した。生徒がグチをこぼすこともなく、そんな環境で練習に励むのを、日頃は恐そうな顧問の某先生が、職員室で熱く褒めていた。そんな舞台裏の話を聞いていると、この1勝は二重に重く、めでたい。


(裏面:4月16日付け『朝日新聞』より、「負けて傷つく電脳将棋」を引用

平居コメント:人間が将棋でもコンピューターに負けた、と大騒ぎになったけど、コンピューターだって人間が作っているわけだから、しょせん人間と人間との勝負であって、人間がコンピューターに負けたわけではない。将棋盤という限られた場所で、外の環境にも影響を受けない、正に「机上の勝負」である。私はむしろ、1秒間に4500万手を読めるという「ポナンザ」に、人間がこれだけ善戦できるという点に、人間の持つ能力のすごさを感じる。)