『ブラックボックス』



4連休(私は5月2日が授業参観・PTAの代休だったので、5連休だった)もあっという間に終わってしまった。2日は半日学校で仕事をし、3日の日中は遠来の客を案内して南三陸まで行き、夜は卒業生と酒を呑んでいた。4日は大学図書館で調べごとをして過ごした。この間、家族は実家。もっとも、妻は今春、転勤と共に陸上部の顧問にさせられてしまい、野球部ほどではないが、休日に試合や練習がたびたびある。5月4〜5日は支部総体(県大会の予選)だとかで、終日不在。4日は母や妹に預かってもらったが、5日は私が子守をしていた。思えば、県大会まで1ヶ月ということで、休みなんか1日もなかったという教員は多いんだろうなぁ。それを「美談」にしてはいけない。

 ところで、4月の半ばから連休中まで、多事の合間を盗み、延々2週間ほどをかけて、篠田節子ブラックボックス』(朝日新聞出版、2013年)という本を読んだ。義母に薦められたのである。

 話の展開がいささかわざとらしく、問題の取り上げ方が露骨なため、タネの見え透いた手品を見ているような気がして、小説として立派な作品だとは必ずしも思わなかった。小説というのは、登場人物たちが自然に動き回っていて、いつの間にか問題が浮き上がってくる、というものでなければならないと思う。しかし、作者の問題意識は、最近の私の問題意識と大きく重なり合っていて、その点では共感をしながら読むことが出来た。「問題意識」とは、例えば某登場人物の次の言葉によく表れているだろう。

「農は国の基本だ。食料生産無くして国家の安全も国民の生活も手に入らない。ところが今の日本では、農業などしていたら食ってはいけない。なぜ食っていけない?一番大事な仕事をしている人間が食っていけない、嫁が来ないなんておかしいと思いませんか。一杯700円もするコーヒーを飲んでいる人間が、米1キロ500円を高いと言う。レタスの一玉が100円を切るなんてあまりに理不尽な話じゃありませんか。百姓が農業ではなく、アパート経営で暮らしをたてるんて、おかしい話だと思いませんか。」

 これは農業だけの話ではないだろう。水産業だって同じことだ。また、作者は単に食料品の値段や生産量だけではなく、むしろ人工的な栽培(舞台は野菜工場。また、作品の中では触れられないが、意識としては加工、調理もだろう)の過程で使われる添加物等の薬品と健康との関係を重視している。私も同感だ。急増していると感じられるアレルギーは、間違いなく食品に含まれる何かが遠因となった、因果関係を把握できない帰結だ。

 「今の日本では」と言うべきなのか、「今の世の中では」と言うべきなのか分からないのだが、食べられるというのがあまりにも当然のことなので、食べることは目標にも問題にもならず、むしろ食べるということから遠いことほど人間的であり、文化的であると考える傾向がある。

 日本における産業構造の変化を見てみよう。まずは、統計上最も古いデータである大正9年は次のようであった。

第1次産業=53.8% 第2次産業=20.5% 第3次産業=23.7%

 ところが、昭和25年頃から第1次産業の衰退が顕著となり、最新のデータである平成17年には次のようになっている。

第1次産業=5.1% 第2次産業=25.9% 第3次産業=67.3%

 第1次産業が極端に衰退し、それと反比例して第3次産業が肥大した。

 私が現在勤務している水産高校は、学校の性質上そうでもないが、今までに勤務した普通科の高校では、当然のこと、第3次産業に職を求めようとする生徒が非常に多く、中でも本来であれば「オマケ」と言ってもよいスポーツ(選手だけでなく、トレーナー、インストラクター、マネジメントなどを含む)と芸術(ファッション、インテリアなどを含む)への指向が強い。家庭でも、「エンゲル係数」という言葉がほとんど死語となって、食費以外にどれくらい、どのようにお金をかけるかばかりが意識されているのではないか?

 しかし、人間が生物として、「食べる」ことを全ての基礎とし、その上に立って各種活動を成り立たせていることを考えると、食糧自給率がカロリーベースで40%に満たないこの国で、「食べる」ことへの意識の薄さは、非常に危険なことであると思われる。学校はもとより、大人が「食べる」ことを軽視したり、子供たちの「人間的な夢」をおだてたりするのもよくない。むしろ、そのような「夢」を問い直していくことこそが必要なのではないか?

 私の義父母は仙台市内に住むのであるが、石巻の郊外に義母の実家があり、ほどほどな広さの畑があるので、週に1〜2度、そこへ足を運んでは畑仕事をしている。元小学校校長で70代の半ばを迎えた義父が、上で私が書いたような問題意識を若い頃から持ち、自分なりに実践と結びつけているのは偉いと思う。私も、今は出来ないが、定年になったら、家族が食べる野菜くらいは自給できるようにしなければ、と思う。

 時間の取りにくさもさることながら、そんなことをあれこれ考えながらだったため、スピードに乗れず、長い読書になってしまった。