三浦雄一郎のエヴェレスト



 三浦雄一郎氏のエベレスト登頂が話題になっている。確かに、御年80となれば、世界の最高峰に立つことの困難さと価値とが思われる。だが、ちょっと待てよ、とも思う。

 エベレストの頂上に立つことが、なぜ人類の夢であり続けたかと言えば、そこが地球上で最も高い場所であり、酸素が希薄だからに他ならない。気象条件の厳しさもさることながら、この酸素の希薄さこそがエベレストの難しさなのである。その酸素濃度は地表の3分の1。普通の人が突然行けば、10秒で意識を失い、間もなく死に至る。もちろん、ゆっくりと高度を上げ、体を順化することで、人間は相当な高所でも活動できるようになるわけだが、それでも、8000mより上は、デスゾーンと呼ばれ、いくら高度順化をしても生きていくことが難しい領域と言われている。乾燥していて、しかも呼吸が荒くなるので、大量の水が必要で、にもかかわらず水を手に入れることが難しい、血中の酸素濃度が下がるので、思考力・注意力が低下する上、凍傷になりやすい、などの困難も発生する。ある意味で、私たちの身近にある2000mの山と8000mの山の6000mの違いより、8000mと8878mの約900mの違いの方が大きいわけだ。だからこそ、ラインホルト・メスナーの酸素ボンベを使わないエベレスト登頂(1978年)が、燦然と光り輝く価値を持つのだ。それは、1953年のヒラリーとテンジンによる初登頂よりも偉大な記録である。

 三浦氏の登頂は快挙である。体力もともかく、その気力を維持することの難しさを思う。登頂だけならともかく、そこに至るまでのトレーニングを支えた気力も並大抵ではない。しかし、エベレストの困難さが、酸素の希薄さにあるとすれば、単に80歳で登ったということだけを評価の対象とするのは間違っている。ベースキャンプを出発してから、下山するまでに、一日当たり何リットルの酸素を吸ったのか、何mの地点からボンベを使うようになったのか、ということは常に明らかにされる必要がある。そうでなければ、素潜りのダイバーと酸素ボンベを担いだダイバーのダイビング技術を比べるようなもので、評価なんかしようがない。

 三浦氏の今回の登山活動のホームページ(MIURA EVEREST 2013)を見ても、そのことには触れていない。報道されたこともないだろう。ただ、そこで紹介されているスタッフを見てみると、三浦親子の他に、クライミングサポートの日本人が4人、ベースキャンプスタッフが3人いて、更に経験豊富なシェルパがなんと18人(!!)、そしてコックが5人付いている。ポーターが何人付いたのかは見当も付かない。多分すごい数だろう。三浦氏の広告だらけのアウター(ジャケット)を見ると、おそらく資金が非常に豊富な登山隊なのだろうということは分かるが、この人数は異常とも言うべきものである。これだけのスタッフがいたら、荷揚げも相当量が可能になる。果たして、それぞれの前進キャンプに担ぎ上げられた酸素ボンベはどれくらいの量だったのか?彼の登山の価値の少なくとも半分は、そのことによって決まるのである。

 気の毒だが、更に言えば、C2から下山にヘリコプターを使ったのも違反だろう。海岸から歩き始めるのが非現実的である以上、一体どこからどこまでが登山かというのは難しい問題である。エベレストの場合、カトマンズから普通の民間機で入ることのできるルクラが起点になるが、登りは高度順化の必要があって、ヘリで一気にベースキャンプに入る人などいない。だが、下りは金があって気象条件に恵まれれば、頂上からでもヘリで下りることが可能である。しかし、どんなに控えめに見ても、ベースキャンプまでは自力で下りなければ、登山をしたとは言えないのではないか?

 80歳という年齢が、エベレスト登頂の最高齢記録だとかで、ひどく騒がれているが、登山の原点は競争ではなく自己満足である。ここに戻ればよい。そうすれば、本人が満足していて、かつ、他者に対して自らの記録を誇ろうという姿勢さえ持たなければ、上に書いたような酸素やヘリの話はどうでもいいことになる。おめでとう。