富士山の無謀登山者

 最近、新聞で毎日のように、富士山に無謀な登山を試みる人についての批判的な記事を目にする。3800m近い高山である富士山に、かなりの軽装で、宿泊や休憩も考慮せず、「弾丸登山」をする人が多いのだそうだ。日本人だけでなく、外国人にもそんな人が多いという。
 当然のことだが、それは本当に危険なことだ。日頃山に登る機会のない人は、35℃の下界で生活している時に、3800mの場所がどれほど寒いか、ということに想像は及ばないだろう。更には、そこで濡れたり風に吹かれたりした時に、どれほど体温が奪われ、命が危機に陥るかということについても思い至らないだろう。3000mを超えた所では、高山病による危険があることもほとんど意識していないだろう。尻拭いをさせられる地元警察や自治体、登山関係者が危機感を募らせるのも当然だ。
 7月下旬に北アルプスに行った時、私が驚いたのはほとんど「無計画」といった状態で山に来ている人が多いことだ。山小屋やキャンプ場が予約制になっていることに対してグチをこぼしていたことと少し矛盾するようだが、山小屋はともかく、キャンプ場で予約必須という所はまだ多くないので、テント持参で山を歩いていると、そういう人の多さがよく分かるのである。
 話を聞いていると、その人たちの頭の中にも、計画が全くないわけではない。たいていは2~3のプランが頭の中にあって、それの中からどれを選ぶかを決めないままに入山しているのだ。
 では、無計画と有計画の違いというのは、頭の中のプランが複数なのか1つなのかという違いなのか、というと、必ずしもそうではない。私が思う「計画」の有無とは、「計画書」の有無だ。たとえ頭の中にプランがあったとしても、計画書を作っていない登山は無計画登山だと私は思う。
 私は、計画書を作るために地図やガイドブックを丁寧に読む。特に「緊急時の対応」、すなわちどこでどんな事故があった時に、どんな対応を取るかという項目を書く上で、それは必要なことだ。逆の言い方をすれば、「緊急時の対応」という項目を書く必要があるから、入念に情報に目を通すようになる。また、計画書には「装備(持ち物)リスト」を付ける。私自身の判断というよりは、ガイドブックやハウツー本を参考に、自分が行おうとしている山行(泊数、標高、距離)であれば、どの程度のものを持つべきかを見極める。そして、出発前にはそのリストを使って忘れ物がないかどうかチェックする。
 計画書を作らないということは、そのような作業をおろそかにすることを意味する。すると、無計画登山は、計画書を作ったかどうかという事実の問題ではなく、山に向かう心構えにおいて大いに問題あり、ということになるだろう。計画書を作るということは、体調にも天候にも関係なく、杓子定規に計画書通りの登山をすることを意味するのではない。
 富士山の無謀登山者というのは、計画書を作らない無計画登山者を、より一層過激に、つまりは杜撰にした存在だ。そんな人たちが、毎日数千人の単位で富士山頂を目指すというのは恐ろしいことである。むしろ、新聞報道が正しいとすれば、よくそんな状態で、今程度の少ない事故数で済んでいるものだと驚く。大事故に至る前に、さりげなくフォローしている親切な人がいるのではないか?
 登山は基本的に自己責任の世界でいいと思うが、気付いてしまえば見殺しにできないという感覚はあるだろうし、富士山などは落石によって人をも危険に陥れる可能性のある山であることを考えるとそうも言っていられない。私は、計画書を作って提出しない人は入山禁止でいいと思うよ。