卒業生が作った小さな映画



 先週の土曜日、街(生協文化会館アイトピア)に小さな映画を見に行った。庄司輝秋監督『んで、全部、海さ流した。』という30分の映画である。今年の2月2日に、『石巻かほく』で紹介され、見たくて見たくて仕方がなかった映画だ。3月20日に仙台で上映会があったものの、平日前の夜だということもあって、足を運べなかった。すぐに石巻でやるさ、と思っていたから無理をしなかった、ということもある。

 というのも、この監督は32歳で、石巻高校時代の私の教え子なのである。「教え子」というのは偉そうな表現でありすぎる。私が3年生の担任をしていた時、クラスに彼がいた、ということだ。

 文化庁委託事業による、2012「若手映像作家育成プロジェクト」に選ばれ、撮った映画だという。新聞で初めて知った時、私はさほど驚かなかった。高校生の時から、「個性の輝き」を発散させていた生徒である。一種独特な天真爛漫さとひょうきんさを持ち、一方で、ギターの弾き語りでもさせると、得も言われぬ哀感を漂わせたりする。芸術家志望だった卒業生はたくさんいるが、大成しても驚かない生徒のベスト3に間違いなく入る。

 彼は、最終的には映像作家を目指すと言いつつ、東京造形大学の確か彫刻科に進んだ。漏れ伝わってくる噂によれば、当初の志通り、映像作りの職場に入り、コマーシャル作りをしているとかいうことだった。その延長線上に映画が生まれた。

 送ってもらった「ご招待券」を手にして会場に行き、卒業以来14年ぶりで会った。それはともかく、映画を見る。題名を見ると、いかにも震災をネタにした映画のようだが、そうではない。自分で書いた脚本だそうだが、何とも不思議なストーリーだ。30分というのは非常に難しい長さで、映画を見ながら物思いにふけることを許さない。ふと映画が終わって、なんだか少し戸惑った。自分がこの映画をどう評価するか、私はまだ言葉に出来ずにいる。私のような立場にあると、監督を個人的に知らなかったらこの映画はどう見えたか?ということは想定不可能だ。これも評価を難しくしている要因である。ただ、庄司輝秋という「輝く個性」は、まだこの映画によって十分表現されたとは言えず、8割くらいは眠っているのではないだろうか・・・?私にはどうしてもそう思われた。

 ところで、上映に先立って、監督と主演女優の韓英恵さん、音楽を担当した中川五郎さんによるトークショーが行われた。その中で、韓さんは、なぜ出演を引き受けたのかという司会者の問いに答えて、脚本の面白さとともに、この映画がフィルムで撮影されるということを挙げていた。20歳を過ぎて間もない女性が、「フィルム」に引かれたというのは面白いと思った。彼女はその理由を掘り下げはしなかったが、おそらく、そこにはいくらでも撮り直しがきくデジタル映像とは違う、かけがえのなさというものが感じられているに違いない。

 とはいえ、上映は映写機ではなく、プロジェクターで行われた。フィルムで撮った映像を、デジタルに変換してプロジェクターで映すというのは、いささか邪な感じもする。しかし、よく考えてみると、撮影の際には、フィルムの方が1回性が高いため、出演者の気持ちも高まるということがあるかも知れないが、それに比べると上映はかなりドライな作業だから、別にどちらでもいい、ということになるような気もする。或いは、録音を聴くのに真空管アンプの方がトランジスタのものより音に温かみがあってよい、というのと同じ現象が起こるのかどうか・・・??

 この映画は、今回の「プロジェクト」に選ばれた他の若手の作品とともに、10月から全国の映画館でも上映されるそうである。石巻の映画館でも上映されるなら、もう一度見てみたいとは思うが、それよりも庄司輝秋監督第2作というのを楽しみにする気持ちが強い。