見たぞ「ほやマン」

 昨日、「さよなら ほやマン」が全国で一斉に公開された。私は薄情だから、人にも呼びかけておいて自分は仙台ニューフィルに行った、のではない。今日、石巻の映画館で監督と出演者による舞台挨拶が予定されていたので、それに合わせて映画館に行ったのである。
 私は、庄司輝秋(以下、監督)が10年前に『んで、全部、海さ流した』という30分のフィルム映画を撮った時、その映画を見て「庄司輝秋という『輝く個性』は、まだこの映画によって十分表現されたとは言えず、8割くらいは眠っているのではないだろうか・・・?私にはどうしてもそう思われた」と書いた(→記事はこちら)。いや、書いただけではなく、試写会の会場で監督とその父親に対してそのように言ったのであった。その時、父親は息子(監督)に向かって「これは平居先生の最高の褒め言葉だね」と言っていた。私に低評価を下されたとは認めにくいから、そのように言い換えて息子を慰めているように聞こえた。しかし、確かにそれは「褒め言葉」だった。ただし、褒めたのは作品ではなく、監督の将来性についてである。
 今日、映画館に着くなり、父親が私を見つけて挨拶に来てくれた。そして、なんとその言葉を口にし、「この間ずっと気にしていたんですよ」とおっしゃる。「気にしていた」は、気に病んできたというよりは、息子にそれだけの能力があるかどうか問い直し続けてきた、ということだろう。私は、この映画を見た後でそれをどのように評価するか、ずいぶん重い責任を負っているかのようなプレッシャーを感じ始めた。
 舞台挨拶には、監督の他、主演のアフロ、弟役の黒崎煌代、晴美役の呉城美久が登場した。アフロはもちろん、ほやマンの出で立ち。インタビュー形式の舞台挨拶は、司会者の実力もあって楽しかったが、問題は作品そのものである。このブログにも2回貼り付けたチラシには、「ぼろっぼろだけど最高の愛」「純度100%の感動作」と、いかにもくさい文句(笑)が並ぶ。
 さて、肝心の映画は・・・やられた。夢中になって見て、気恥ずかしいのでどのシーンとは言わないけれど、二度ほど目頭が熱くなった。本当に素晴らしかった。あっという間に1時間46分が過ぎていった。斜め後ろからすすり泣く声が聞こえていた。一緒に行った愚息も「面白かった」と言っていた。午前中に見た妻と娘も、一様に「めっちゃ感動した」と言っていた。
 話の筋は突飛で、あまりつじつまは合っていない。小道具的な要素(ネタ)が、ごてごてと詰め込まれている。自然主義者であり、現実主義者であり、論理を重んじる私は、普通はそういう筋書きが好きではない。なのになぜこの映画に感じ入ったのか。それは、人間と人間のぶつかり合いに真実を感じたからである。その点において異様なほどリアルだったのだ。
 私は、監督の人選に舌を巻く。特に主役のアフロは、ミュージシャンとして映画の一場面に出たことはあるようだが、いわゆる俳優としては今回がデビュー作のようだ。せめてアフロが俳優だったら理解できる。しかし、私は全然知らなかったのだが、実際にはミュージシャン(ラッパー?)である。その彼をどうやって見つけ、どんな点に目を付けたのだろう?舞台挨拶によれば、監督は「お前じゃなきゃダメだ」「音楽でさらしている生き様をそのままぶつけろ」と言って口説いたらしい。アフロに阿部明役の適性を見出し、主役を演じさせたこと、これは驚くべき眼力だ。
 弟役に高橋煌代を当てたのもヒットだった。アフロと本物の兄弟のようにしか見えなかった。障害を持ち、とても純粋な人間である阿部繁を演じるのは、非常に難しいことのように思われたが、それが実に自然にできていた。期待の若手とは言え、これまで映画に出たことのなかったこの人を見出した力は、やはり並大抵ではない。
 この二人に比べるとベテランに属する呉城久美も、複雑な事情を抱えた漫画家という難しい役だったが、完璧だったと思う。そして、隣のおばさん役の松金よね子も、兄弟の伯父さん役の津田寛治も、それぞれがよくはまっていた。監督の人選の確かさであるとともに、彼らを本気にさせる力が脚本の中にあったということではないか、と想像する。
 なんでも、その後、仙台市内の映画館で舞台挨拶があるとかで、監督や出演者、監督の家族は映画が始まった後、すぐに石巻を後にしたらしく、終演後に会うことは出来なかった。仮に会っていたら、私は何を言っただろう?「すばらしかった。これで庄司輝秋の能力は100%明らかになった」とは言わなかったに違いない。そんなことを言えば、「もう伸びる余地はない」と言っているのと同じことだから・・・。まぁ、8割、だな。残り2割は今後のお楽しみ、というやつだ。
 おそらく、この映画は、見る人が増えるにつれて高い評価を得ることになるだろう。映画を見ないまま人に薦めてきた私も、「嘘つき」にならずに済んでよかった。そんな解放感も心地よい。