命を育てる川



 一昨日、ちょっとした調べごとで、仙台市川内にある大学図書館に行った。仙台でも32度を超えたという暑さの中、もちろん、私は駅から歩いて行くのである。暑さ対策は・・・いつもより少し荷物を減らしたことくらいかな・・・。

 広瀬大橋を渡る時、流れの中に鵜のような鳥が立っているのが見えた。ほう、こんな鳥いるんだ・・・と思った瞬間、その鳥は頭からすうっと水に潜った。清流なのだが、どこに行ったのか分からない。そんなことあるわけないが、潜ったまま死んだんじゃないか、と思うほど長く(15秒以上?)潜って、顔を出した時には魚を呑み込んだらしく、のどが動いていた。間もなく、同じ淵にまたすうっと潜った。残念ながら、今度は不漁だったようだ。30秒以上待っても、潜ることなくじっと立っているので、キリが無いと思い、観察を止めて青葉山の坂に向かった。

 しばらく前の話、『ダーウィンが来た』で、東京の町中に住むカワセミの特集があった。カワセミは年に2〜3回、一度に3〜4羽の雛を育てるが、この雛が一羽大人になるためには、200匹の魚が必要だ、という話を聞いてびっくり仰天した。鳥は皮下脂肪が少ないので、親鳥が子育ての間じゅう絶食をするわけにもいかないだろう。ということは、一家族で1000匹前後の魚が必要になる、ということになる。カワセミの縄張りは150m〜1キロ。都会のカワセミは、人間同様、カワセミ密度(人口密度?)が高いようなので、縄張りは2〜300mがいいところのようだ。幅2〜3mの都会の小さな川200mの間に、いったいどれくらいの魚が住んでいるのだろう?少なくとも、魚を食べる鳥がカワセミしかいなかったとしても、3〜4ヶ月当たり1000匹が餌として命を奪われる。それでも魚が減少、絶滅しないということは、毎年いったい何匹の魚が生まれ育ち、常時何匹が泳いでいるのだろう。その魚の命を支える他の生き物(植物を含む)や、水中に溶けた酸素のことまで想像していくと、あまりにも膨大なシステムでありすぎて、なんだか気が遠くなりそうだ。

 よく似たことを、山に登っている時にもよく思う。渓流釣りの姿を見かける。狙いはたいていイワナだ。さほど大きくもない渓流に、イワナの姿を見ることは多いが、群れる魚でもないので、一つの川にいったい何匹いるのかというと、たいした数ではないように思う。ところが、釣り人が何匹釣っても、次の釣り人には釣れないということがない。釣っても釣っても、イワナは無限にいるのである。川全体に何匹がいて、それが日頃はどこに隠れているのだろう?いつ育っているのだろう?

 先日書いた「アリューシャンマジック」でなくても、身近な川が驚くべき命の宝庫なのだな、と思う。私が昨日見た鵜は、今日も同じような場所で、優雅に潜ってやっぱり魚を捕っているに違いない。そして明日も、あさっても・・・。