環境問題解決のための机上の空論(2)



 私は、現在、いったいどれくらい生活の質を落とすことに耐えられるだろうか?と考えてみる。記憶がいささかあやふやではあるけれども、私が大学に入った1980年に遡ることは、ほとんど抵抗なくできるような気がする。今から33年前である。当時家の中になかった機械類で今あるのは、電子レンジ、パソコン(周辺機器を含む)、デジカメ、DVDプレーヤー、24時間換気装置(家の一部)、妻の携帯電話だけである。本当にこれで全てだ。当時は、自家用車があったとしても、一軒に一台だったと思うので、大人が二人いるから車も二台あるというのは、当時なかった車が今はある、というのと同じことになる。車は別格として、時間当たりで最もエネルギー消費が大きいのは電子レンジであるが、1日平均5分も使わないだろうから、あまり問題にならない。他の家なら、テレビが一軒に一台だったのが各部屋に一台になったとか、エアコンが付いたとかの変化があるかも知れない。ただ、こうして見てくると、やはり、1980年に生活を戻すというのは、それほど大変なことだという気がしない。

 にもかかわらず、『エネルギー白書』(2010年版)の統計などを見てみると、2008年の時点で、個人のエネルギー消費量は1980年のほぼ2倍に達しているのである。これは、機械の性能が良くなり、エネルギー効率が上昇したことを考えると、信じられないほど大きな変化だ。自家用車やテレビの複数化をはじめとして、冷蔵庫や洗濯機の大型化、エアコン、就寝時間が遅くなって照明器具を使う時間が長くなった、などのことが原因として考えられる。

 人間というのは、あって当たり前だと思うと「無い」ことに腹が立つが、「無い」ことが当たり前だと思うと、無くても腹は立たないし、不十分でも「ある」ことに感謝をするようになるものである。今の人間は、なんでも「ある」ことが当たり前、便利なのが当たり前、という意識を持ちすぎているから、贅沢を止められないのだと思う。しかし、少し時間を遡れば、「ある」ことが当たり前だった物などほとんど無いのだ。今の生活は何かの間違いなのである。

 2007年のG8サミットでは、世界の温室効果ガスを2050年までに半減させるという目標を立てた。温暖化を長期的に解決させるためには、そうすることが必要だと考えられたからである。だが、もちろん、その後の具体的な作業は進んでおらず、目標そのものがほとんど忘れられそうな勢いだ。「世界で」はともかくとしても、上のように考えれば、日本でそれを実現させるのは、さほど非現実的で難しいことには思われない。しかも省エネ技術の発達によって、生活水準を1980年に戻せば、エネルギー消費量は、1970年に戻るだろう。すると、50%減でお釣りが来る。

 私は、何かにつけて競争原理を導入しようという昨今の世の中を冷たい目で見ているが、それは競争していいことと悪いことをきちんと分けないからである。競争していいことについては、競争すればいいと思う。化石燃料の消費抑制合戦などは、さしずめその類いであろう。人間は競わせると、事の善悪や意味を考えず、やみくもに勝とうと頑張るものであり(日中戦争時の首切り合戦を思い出してみよう)、頑張っている限りにおいては、充実感ややりがい、更には楽しさを生み出すものである。消費を増やそうというのが本心であり、世の中の全体的傾向である場合に、「贅沢は敵」の道を進むのはつらいが、世の中全体が化石燃料の消費抑制のために競うようになれば、文明からどんどん遠離りながらみんなが「楽しい」、という現象は間違いなく起きると思う。

 今日、国の人口統計が発表された。少子化に歯止めは掛からず、日本人の人口は昨年比で24万人減ったらしい。これは、環境問題上、実に喜ぶべきことである。

 世の中では「少子化」がずいぶん問題になり、今や「少子化担当大臣」までいるのだけれど、少子化がなぜ問題なのかと言えば、それを問題とする人は、経済のことだけを考えているようだ。つまり、人口が増えなければ経済の発展はなく、しかも、この借金大国にあっては、一人当たりの借金がどんどん増えるから困るのである。

 しかし、食糧自給率が40%を割り込んでいる日本においては、仮に農業生産が変わらないとすれば、むしろ、人口が今の40%になり、食糧自給率が100%になることこそが健全なのではないだろうか。二酸化炭素の排出量も、生活水準を上げさえしなければ、自ずから40%になる。それでいて、今までさんざん書いてきたような「我慢」も、社会構造の変化に伴う痛みも必要ない。(かく言う私も、実は、少子化は困った問題だと思っているのだが、理由は経済問題にはない。話がずれるので、いずれまた・・・)

 「食える」ということは基本である。「食えない」日本で、やはり国内で自給できない膨大な石油を燃やし、のうのうと贅沢な生活しているのは、環境問題を抜きにしておかしい。原点に立って健全な生活をすることを目指せば、環境問題の解決は、少なくとも日本国内に関しては後から付いて来る。日本だけが努力してもどうにもならないところが、環境問題の難しさなのだけど・・・。(続く)