イスラム国と私戦予備罪



 今月の初めだったかに、北海道大学の学生がイスラム国の戦闘員になるため、シリアへの渡航を企てたということで警察の捜査を受けた、という話が、けっこう大きな話題となった。今時の若者には、これほどまでに「戦争」というものに対する想像力が欠如しているのか、と嘆くような論評にはいくつかお目にかかった気がする(私もそう思う)。また、今回の捜査の名目として、刑法第93条の「私戦予備罪」を適用したことについての是非も議論になった。

 私がかつて(1988年10月)中米を旅行していた時、コスタリカの首都サンホセの安宿で、某日本人写真家(ジャーナリスト)と泊まり合わせたことがある。ニカラグアの取材に来ていた。この時初めて、私は、ニカラグア政府軍の中に、日本人の傭兵がいるという話を聞いた。フランス人やドイツ人もいるという話だった。当時のニカラグア政府というのは反米・共産主義的なサンディニスタ政権で、反政府ゲリラをアメリカが支援することで、長く内戦が続いていた。アメリカから兵糧攻めに近い状態にされていたサンディニスタ政権が、日本や欧米からの傭兵に高給を出せるわけもなく、また彼らが高い専門性を持っていて、軍事顧問的立場にあるわけでもないらしい。要は単なる一兵卒で、「戦争」に対する漠然とした憧れか、サンディニスタ政権もしくは反米思想に対する共鳴をもって、ニカラグア政府軍に身を投じたらしい。私はコスタリカの前に、わずか数日間ながらニカラグアを訪ねた(→この時の話)が、日本人にも会わず、欧米人と親しく接する機会もなかったので、軍の内部に関する話、ましてそこに日本人の傭兵がいるなどという話は耳にすることがなかった。某写真家氏は、世界中探せば、アフリカなど、他の所にも日本人傭兵は少数ながらもいるだろう、と言っていた。ともかく、私は二晩くらいに渡り、強い好奇心を持って感心しながら彼の話を聞いていた。ノンポリだった私は、その物珍しさに興奮し、世の中には変わった人がいるものだと感心し、呆れただけで、政治的・批判的な思いは浮かんでこなかった。

 さて、某写真家氏の話の真偽は分からない。だが、仮に真だとして、その話がどの程度知られていたのかも分からないが、日本人傭兵が問題視されたことがないのは確かだろう。外国で、外国人がやっている戦争に、日本人代表ではなく、まったくの一個人として関わっていることが、問題とするに値しないことだと考えるのは、決して間違っていないと思う。もちろん、人数が増えすぎて、日本国が支援しているような形になれば別だが、それはあまり現実的でないし、彼らはあくまでも現地人の思想と利害とを背負って、現地における戦争に加担しているのである。

 イスラム国の戦闘要員になるというのは、今のところそれと同じことである。私が見たところ、おそらく、刑法の「私戦予備罪」とは、日本政府を差し置いて、日本から他国に戦争を仕掛ける準備をしていることが発覚した時に適用されるべき法律であって、日本人という立場を利用しようとしているわけでもない、外国の紛争に加担しようという一個人に適用されるべき法律ではない。イスラム国の異常さが刺激的に報道され、それまでのイスラム教徒によるテロによって、イスラムに悪印象を持つ人々が勢いづき、手段を選ばずイスラム国に立ち向かおうとすることの方が恐ろしい。「私戦予備罪」などという、過去に適用事例のない法律を拡大解釈して持ち出すことの見境の無さは、正にその類いである。

 実は、私も、イスラム国という集団を危険視することについては人後に落ちないつもりだ。だが、それと私戦予備罪は別の話である。アメリカの空爆にも批判的だ。なぜヨーロッパの若者が、イスラム国の戦闘員になってしまうのかということは、その原因を冷静に掘り下げて対策を考えなければならないし、恐いのは、日本人が現地で戦闘員になることではなく、日本国内で、イスラム国の組織または支援組織を立ち上げようとすることだろう(適用は内乱罪か?)。

 そもそも、戦争はその国の利益を守る(または拡大する)ための最も過激な方法である。国益を守る立場として、公務員でさえ外国人が就くことのできるポストは極めて限られているのに、外国人が戦闘員になれるというのはおかしな話だ。どの国でも最重要機密に属するはずの軍事機密に触れる機会もあるだろうし、指揮官になれば、軍を内側から瓦解させることもできる。外国人を戦闘員にするのであれば、「帰化」がイスラム国にとっても必要な条件であるはずだ。その辺はどうなっているのだろう?まったく話題にならないことが、私にはよく分からない。