親の責任をともに考える(補)



 先日、川崎市で起きた中学1年生殺害事件に触れ、保護者のあり方というものを問題にした(→こちら)。そうしたところ、昨日の『朝日新聞』に、殺された少年の母親についての記事が出た。記事を読む限り、先日私が書いた「やむにやまれぬ様々な事情がある」例の一つだろうと思った。

 それによれば、母親は、医療・福祉関係の仕事をしながら、5人の子供を育てていたらしい。母子家庭で、働きながら子育てをすることがいかに過酷か、記事は、他の人の事例も取り入れながら話を一般化し、社会の問題として考えてもらおうという方向性を持っている。扱いが難しい問題を、まずまず上手く処理していると思う。

 確かに、女手一つで5人の子供を育てるというのは、想像を絶する困難な作業だ。一方で、それにしても、日中学校に行っておらず、夜にしばしば外出し、顔にあざがあった子供の異変に気付かない、もしくは気付いても対応しないというのはやはり信じ難い。

 親、特に離婚した親が、自己責任論によって追い詰められていくのはまずい。だが、それに手を差し伸べるのは、まずは社会ではなく、親戚であるのが当然。この母親の場合、実家が近くにあったらしい(だから、島根県の離島から川崎という大都会に移り住んだ)。自分の実家にさえ頼れないほど、自己責任論が横行し、親が孤立を深めているとすれば、それは由々しきことだな、と思う。

 ここから先、どうすべきだ、みたいなことは書けない。ただ、先日、保護者のあり方についての報道がないのは遺憾、というようなことを書いたので、この記事の存在を書き留めておこうと思っただけ。