皇族の結婚

 一内親王と一般男性との結婚が大きな話題になっている。最初、2人の記者会見によってこの話が公になった時には、なんと素晴らしい男性であろうかと、見ている側が恥ずかしくなるほどのもてはやしぶりだったが、男性の母親にからむ借金問題が明るみに出るや、一気に世間の目は冷たくなり、賛否両論、それが3年間も続いてきた。そしてこのたび、どうやら本当に結婚するということになるらしい。
 本来、男と女の関係に、人がとやかく口を挟むのは野暮というものであるが、なにしろ皇族である。「1人の女」というだけではさすがにすまない。結婚について世間がとやかく言うのも理解出来なくはない。
 しかし、内親王は結婚すれば皇族ではなくなる。しかも、今回の結婚は国民だけでなく、身内にも納得できないとする人がいるからか、儀式の類は一切なし、一時金も辞退ということで、「駆け落ち」と評する人も少なくない。その通りであろう。この際、勘当と同様、公式行事にも一切顔を出させないことにすれば、その後、マスコミが興味半分で追ったりしない限り、男が表立った場所に顔を見せることもなく、皇族としての品格がどうのという話にもならない。ならば、この結婚が上手くいこうが行くまいが、本人たちが納得するようにやらせればいいではないか、いや、それしかないだろうと思う。暇な人たちが、よその男と女の話に、ああだこうだとご託を並べるのはよろしくない。
 気が滅入ってくるのは、秋篠宮家の長男の結婚である。相手を見つけることは困難を極めるであろう。皇族など見かけはよいが、籠の中の鳥。自由は一切ない。いくら窮屈で退屈でも、離婚することも難しい。職務の性質上、際だった品性も知性も求められ、こんな生活に耐えられる人なら誰でもいい、ともいかない。また、平安の世ならともかく、今や、自分の出世のために娘を宮中に入れたいなどと考えている親がいるはずもない。そもそも、娘が天皇家に嫁いだからといって、親が利益を得たりすることはないであろう。むしろ、后の親としての責任と制約とが発生し、生活は不自由になるばかりである。
 誤解されたくないのだが、私は皇室の存在にあまり否定的ではない。今の天皇上皇については、むしろ深い敬愛の念を抱いていると言ってよい(→参考記事1参考記事2)。一方で、天皇家が政治家に利用されることに対する懸念は常に持っているし、あまりにも世間一般とかけ離れた生活を強要されている皇族に対して、同情の念も強い。また、これだけ皇族が細ってきているのに、そして、歴史上の前例さえあるのに、女性は天皇になるべからずなどと勝手なことを言う人がいるのも不愉快な話である。
 今回の皇女「駆け落ち」事件は、そんな皇室に関する理不尽な現状が生み出した必然的な出来事にも見える。これでまた皇族が1人減る。どこまで行けば、政治家たちは皇室のあり方を、自分にとっての理想(決めつけ、思い込み、先入観)の押しつけではなく、柔軟に考えることができるようになるのであろうか?