1ヶ月あまり前、Aさんという方からお手紙をいただいた。東京都内某大学の社会人大学院に学んでおり、水産高校における人材育成をテーマに修士論文を書きたい、そこで私に話を聞かせて欲しい、というような内容だった。私のことは、『それゆけ、水産高校!』で知ったらしい。同封されていた修士論文の構想レジメを読んでも、何がやりたいのかは今ひとつよく分からなかったし、そもそも、そんなことが修士論文のテーマになり得るのかな、とは思ったが、拙著の読者である上、一般の方が、水産業に関心を持ち、教育も含めて考えてくれるというのはありがたいことなので、すぐに「お出掛けください」とのメールを送った。たまたま、その数日後に石巻魚市場の社長に会う機会があったので、魚市場の見学もお願いしておいた。
というわけで、昨日から私はAさんに付き合い、今朝は6時過ぎから石巻魚市場に行った。社長自身が3時間もお付き合い下さって、Aさんのためにではなく、私自身がとても楽しい時間を過ごした。
今まで、魚市場に行くと言っても、生徒の見学実習引率の形で、水揚げや競りといった作業が一段落した時間帯にしか訪ねたことがなかった。今日は、市場が最も活気に満ちた時間帯である。土曜日ということもあって、「お〜、すげぇなぁ〜!!」というほどの魚はなかったが、それでも、やはりこれだけの魚種を目にする機会は日頃ないので、新鮮なトキメキを感じながら見ることが出来た。外から見ていると、まだまだ完成までは時間がかかりそうな新しい魚市場の建物も、中はほとんど完成していて、工事中であることを忘れてしまうほどだった。
いろいろ面白い発見はあったし、魚や水産業から際限なく脱線していった社長との話も面白かったのだが、魚に関することで最も印象に残ったのは銀ザケだった。
銀ザケは今がシーズン。銀ザケが入った、1トンあまり入るであろうプラスチック製のコンテナがたくさん並んでいた。海水に浸けてあるのだが、透明な普通の海水のものと、血の混じった海水のものとがある。聞けば、血が混じっている方は、活き締めしてあるのだそうだ。活き締めというのは、えらの後から小刀を差し込んでえらの付け根の頸動脈を切る、という作業だ。魚が苦しむ時間を短くすると同時に、品質を向上させるという効果があるために行われる。スーパーで、「活き締めブリ」ならよく目にする。ブリ以外では・・・ちょっと思い浮かばない。
銀ザケというのはさほど大きな魚ではなく、重さも2〜3キロといったところである。それを生け簀から揚げながら、一匹一匹活き締めするというのは、ひどく手間の掛かる作業であることが容易に想像できる。ところが、社長によれば、活き締めしたものとしていないもので、値段はキロ当たり10円くらいしか違わないのだそうだ。なぜそんなことになるのか、なぜそれだけしか値段が違わないのに、わざわざ面倒な作業をするのか・・・と疑問がわっと浮かんできた。
活き締めすると血が抜けてしまうので、肉の色が白くなる。それが従来の銀ザケの身の色と違うため、活き締めした身の方を質が悪いと誤解してしまう。人は「今までのもの」に安心感を覚えるのだ。しかし、「活き締め銀ザケ」は、使ってもらえば価値が分かり、そして必ず評価されるようになると、養殖業者は確信している。だから、手間の割に値の付かない活き締めものを、じっと我慢しながら出荷しているらしい。商品を作り、その価値を認めてもらうというのは大変な作業である。
社長は以前から知っていたが、個人的に、これほど親しくいろいろな話を聞かせていただいたのは初めてであった。「今やっていることが天職だと思わなければ」「他にもっといい仕事があるんじゃないかなんて考えていたら、いつまでたっても天職には出会えないよ」、とは、以前からよく耳にする社長の持論であるが、72歳にして広い市場の中を活発に動き回り、多くの人々と言葉を交わし、生き生きとした表情でよくしゃべる姿を見ていると、本当に今の生活が楽しそうだな、と羨ましくもなり、私自身が楽しくもなってきた。また、季節を変えて訪ねてみよう。