夫婦は別姓でも構わない



 前々から気になっていた判決が出た。夫婦同姓を強制することが憲法に違反しないかどうかに関する最高裁判決である。判決は「違反しない」であった。

 気になっていたとは言っても、我が家でそれが切実な問題になっているわけではない。親族や親しい友人でも、それでもめた話はない。ただ何となく気になっていただけである。夫婦同姓を強要することは違憲ではないという判決は、夫婦同姓を強制しなければ違憲だ、ということを意味するわけではない。おそらく、憲法判断を求めた原告は、違憲判決が出れば民法改正が行われやすくなるだろう、との目論見を持っていたと思われる。だが、夫婦別姓を可能にするのは、やはり民法である。合憲違憲の議論とはあまり関係なく、別姓を認めるかどうかの民法に関する議論をすればよい。

 私は、「別姓でも構わない」派である。私は全然こだわりがないので、結婚する時に、私の姓を取るか、妻の姓を取るか、じゃんけんで決めてもいいと思っていた。「平居」という名字は目立つから嫌だなぁ、とも思っていた(全国に1000人ちょっとしかいないらしい)。ところが、女は結婚したら姓が変わるというのが「常識」なので、姓が変わらないのはいつまでも独身みたいで嫌だ、同窓会名簿で格好が悪い、などと妻が言うものだから、じゃんけんをすることなく妻が姓を変えた。親しい友人には、本当にじゃんけんで姓を決めた例もある(夫が勝った)。

 姓を変えると、仕事をしていく上で不都合だという主張は、実にもっともである。学者であれば、これとこれが同じ人の論文なの?ということにもなるだろう。仕事をしていく上では、通称として旧姓を使うことを認めれば問題はあるまい、と私も思ってはいたのだが、通称を完全に仕事上に限定するのもなかなか難しいらしい。そうなると、家族の一体感を保つなどという抽象的な価値よりも、実務的な合理性を優先させて別姓を認めるというのがいいように思う。

 子どもがどちらの姓を名乗ればいいかなんて、日本がおそらくは父系社会であった(天皇家がそれを象徴していると思うが、本当かな?)ことを思えば、父の姓を名乗ることにすると決めてもいいし、それも抵抗がある人に配慮して、どちらでもいい、としてもいい。いずれにしても、何らかの形で制度化してしまえば、10年くらいで誰も気にしなくなるだろう。夫婦別姓を認めてもらえないために事実婚を選ぶことの不都合(親権、保険金の受け取りなど)と違って、単なる「慣れ」の問題であるように思われる。制度が変わる時は、どんな制度でも違和感を覚えるが、すぐに慣れるものである。

 だが、そもそも、私が別姓にさほど抵抗を感じないのは、名前によってその人の本質的価値が左右されたりしない、という思いが強いからである。案外、日本人が夫婦同姓にこだわるのは、「個」が確立していないからではないか?私が平居であろうが郄橋であろうが、私自身の価値はいささかも影響を受けない。その一点にのみ強いこだわりと信念とを持っていれば、髪の毛の色が黒いか茶色いか、化粧をしているかしていないか、赤い服が好きか白い服が好きか、といった問題と同様、姓は表面的な符号でしかない。しかも、ファッションと違って、姓は感性をも思想をも表現していない。もちろん、それと長く付き合っていれば、スポーツ選手の背番号のごとく、自分を象徴する意味をも持ち、愛着も湧いてくるだろう。一方、それによって現実にトラブルが発生するとなれば、愛着云々とも言ってはいられるまい。

 日本人は「個」が確立していない民族だ、とよく言われる。私もそう思う。果たして、姓の問題はそのことと関連していないのだろうか?私の姓についての考え方こそが軽薄で、そこに潜む何か重大な役割を見落としているのだろうか?いずれにしても、何かの考えを押し付けるのではなく、出来るだけ多くの人が不愉快や不都合を感じずに済むような制度にしたいものである。