「公平な批評」を求める切なさ

 しばらく中断していたが、夏目漱石「こころ」についての話を書き足す。(→前回はこちらから3日間)

 Kと「私」は同郷である。実家が真宗の寺で、次男であったKは、医者の家に養子に出されたが、養家を裏切ることで、養家から離縁されただけでなく、実家からも勘当され、自力で勉学を継続する必要に迫られた。困窮し、精神的にも病みかけていたKに救いの手をさしのべたのは「私」である。「私」は、Kを自分の下宿に住まわせる。「私」の部屋は、6畳と4畳半の二間続きだったため、その片方をKに使わせることが可能だったのである。はっきりとは書かれていないが、無償だったはずだ。単に部屋の一部を使うだけならともかく、Kも下宿で食事をしているから、その食費は「私」があえて支払っていたものに違いない。奥さん・お嬢さんの存在もあって、Kは徐々に健康を回復させていった。「私」はKを救ったと言ってもよい。
 そのKが「私」に、お嬢さんのことが好きだと言いだし、自分自身もお嬢さんのことが好きだった「私」は、Kに恋をあきらめさせようとする。その試みが完全に成功する前に、私は奥さんを通してお嬢さんに結婚を申し込んだ。それは難なく成功した。私はKに対して、自分の気持ちを一切語ることなく、こっそりと婚約を決めたのである。
 Kに自分の婚約について語り、謝罪しなければと思う私は、その倫理的な弱点の故に、またそのことを奥さんやお嬢さんに知られて面子がつぶれるのを恐れるが故に、悶々としつつも実行できない。そうこうしているうちに、恐れている事態が起こってしまった。奥さんがKに対して、自分の娘が「私」と結婚することになったと伝えたのである。奥さんから「私」が、そのことを告げられた場面は、次の通りである。

「5〜6日経った後、奥さんは突然私に向かって、Kにあの事を話したかと聞くのです。私はまだ話さないと答えました。するとなぜ話さないのかと、奥さんが私をなじるのです。私はこの問の前に固くなりました。その時奥さんが私を驚かした言葉を、私は今でも忘れずに覚えています。「道理で私が話したら変な顔をしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか、平生あんなに親しくしている間柄だのに、黙って知らん顔をしているのは。」」

 ここには、奥さんが「私」とKとの関係をどのように見ていたかがよく表れている。傍目から見ていても、「とても親しい」ものだったのだ。当然であろう。
 では、Kは「私」をどのように見ているだろうか?そのことは、何と言っても、お嬢さんに対する恋を私だけに告げたことによく表れている。しかも、Kにとって恋は道の実現を妨げる悪であり、恥ずべきことだったはずなのだからなおさらだ。Kの「私」に対する信頼は厚い。
 今回、久しぶりで『こころ』を読んでみて、私の腹にひときわこたえたのは、次の一節である。図書館で「私」に声をかけたKが、散歩に出た後、「私」に向かって問いかけた部分である。

「彼は私に向かって、ただ漠然と、どう思うと言うのです。どう思うと言うのは、そうした恋愛の淵に陥った彼を、どんな眼で私が眺めるかという質問なのです。一言で言うと、彼は現在の自分について批判を求めたいようなのです。(中略)私がKに向かって、この際何で私の批評が必要なのかと尋ねた時、彼はいつもにも似ない悄然とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいと言いました。そうして迷っているから自分で自分が分からなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより他に仕方がないと言いました。」(第40回)

 この時、Kが批評を求めたのは「恋愛の淵に陥った彼」「自分について」であって、「彼の恋」についてではない。その差はわずかに見えて、実は決して小さくない。「恋」があくまでも「恋」に限定されるのに対して、「彼」「自分」は生き方全体を意味する。これは、ある意味で「私」にヒントを与える問いかけだ。なぜなら、この問いの答えを考えれば、Kの生き方を考えざるを得ず、その先に「精神的に向上心のない者はバカだ」という言葉が見えてくるからである。
 一方、Kは、「私」が自分について「公平な批評」をしてくれる相手と見ていた。この時私は、腹の中で、どうやってKに恋を諦めさせるかばかりを考えている。そのことが、「私」の独白を読む読者にはよく分かっている。Kは真正直で、一本気な男だ。だからこそ、単純に「私」を信じ切っている姿が悲劇なのである。この「私に公平な批評を求めるより他に仕方がない」というKの言葉は、読んでいて本当に苦しい。今回、授業の準備で読み直していて、私にとって最もこたえたのはこの一節であった。