昨日まで、中原中也の代表作であり、なかなか解釈の難しい「一つのメルヘン」について、思うところを書いてきたわけだが、もちろん、授業ではこんな主観的な解説の押しつけはしていない。(1)に書いた程度のことを解説し、生徒がどんなイメージで受け止めたかを作文させておしまい。それ以上のことはしない方がいいだろうとの、いわば戦略的撤退だ。
では、生徒が書いた作文にはどんなものがあったのか、気になるところであろう。総じて言えば、「難しかった」「なんとなくよかった」式の抽象的で大雑把なものが多かったのだが、中には核心に向かおうとしているもの、なかなか健闘していると思われるものもあった。紹介しておくことにする。
A:「私は、この『一つのメルヘン』は題名と内容から、過去の回想なのかなと感じました。秋の夜に誰かが死んでしまった。そのことに作者はひどく悲しみ、見るものすべてが味気ない石のように見えていた。しかし、そんな作者の心を動かした『何か』があり、『他人の死』から立ち直ることができた、というイメージが思い浮かびました。」
B:「私は『一つのメルヘン』から三途の川をイメージしました。実際に見たことはないし、本当にあるのかも分かりませんが、そこがこの詩に合っているように感じたからです。『さらさら』が繰り返し使われているからか、穏やかで静かな印象を受けました。もし三途の川があるのなら、この詩に出てくるように落ち着いた場所だろうと思いました。」
C:「私はこの詩から、色を感じました。河原に陽が射しているところから、うすい水色のようなものを感じ、『淡い、それでいてくっきりとした影』という表現から、うすい灰色の影ではあるが、その影はしっかりと存在していると思いました。『メルヘン』のイメージかも知れませんが、黄色、うすいピンク、黄緑などの色も感じられました。」
D:「私のイメージは、ところどころ命に関する部分があるんじゃないかな、と思いました。空想的、そして命に関すること、想像ですが、作者は死が近かったのかなって思いました。」
E:「蝶が生命を宿している印象。なぜなら、蝶が石にとまると、流れていなかった川が流れ出しているから。」
F:「これは過去の回想かなと感じた。そして、この詩人の過去がとても悲しいものなのかな、と読んでみて思った。でも、そこに蝶が現れて周囲が色づき、その蝶がいなくなって、いつのまにか河床にも水が流れ始めていて、つらかった思い出も思い出してみたら上を向けることもある、と伝えているのかなと感じた。」
G:「小石ばかりあって生き物のいる様子がない川原に、1匹の蝶が飛んできて、まるで革命が起きたような、川原が息を吹き返したような、そんなイメージが思い浮かびました。」
Aは私の理解とほぼ同じである。Fも「回想」路線だ。また、「生命」「死」といった連想は、昨日までに紹介した先人の理解と重なり合ってくる。「乾いた日の光→蝶→水の流れ」に込められた意味を考えると、A、E、F、Gは合理的な読みである。「乾いた日の光」と「水の流れ」を比べてみると、明らかに後者の方が、生き生きとしてポジティブだ。
見るべきものの数は少なかったけれども、これら生徒の作文は、それなりにいい線を行っているのではあるまいか?