意識の上と下(和合亮一氏のことなど)

 昨日、国語の秋季大会に行ったこと、私は今年役員であるが特に仕事と言うほどのことはしなかった、というようなことを書いた。実は、一つだけ少し大きな(らしい)お仕事をした。記念講演の謝辞を述べる係である。
 通常は、宮城県高等学校国語教育研究会の副会長であるどこかの校長が担当する仕事だ。ただ、私は、1ヶ月半ほど前に会長から「やってよ」と頼まれた時、そんなことは知らず、例によって「いいですよ」と即答した。頼まれた仕事は、思想信条に反しない限り引き受けることにしているのである。
 その場にいた某教諭(友人)が、一緒に駅に向かう道すがら「謝辞ってけっこう大役ですよね」と言うから、そんなものなのかな?と思っただけである。謝辞というのは、講演を聴いて感想とお礼を述べればいいだけの話であって、事前の準備も必要ない、と言うより準備が出来ないことなので、むしろ、なぜ「大役」なのかが分からなかった。退屈な講演だった時に居眠りが出来ないのは大変だ、とは思ったが・・・(笑)。
 私が頼まれたことには、当然ながら理由がある。2人いる副部会長が、当日、所用で欠席というのが理由の一つ。ただ、それだけなら、分科会助言者として参加している教頭が3人いる。そこを飛び越えて私にお鉢が回ってきたのは、講師が詩人・和合亮一氏だったからだ。
 2007年、私の初めての著書『「高村光太郎」という生き方』(三一書房)が世に出た時、かなり早い時期に、「週刊読書人」という新聞に、和合氏が熱のこもった書評を書いてくれた。大正文学の専門家であり、日本近代文学会東北支部の集まりで私が高村に関する講演をした時に知り合った会長がそのことを知っていたため、いわば「配慮」によって私が指名を受けた、ということだ。以来16年が過ぎたが、和合氏に会うのは初めてである。
 さて、講演は強い力を持つものだった。感情表現について語っていながら理路整然。話し方も含めてメリハリがあり、人を飽きさせない。当然、居眠りをしたくなることもなかった。しかし、その内容に今日は触れない。「謝辞」として私が何を話したかもいいことにしよう。そして、少し違うことについて書いておきたい。
 昨日、列車とBRTで志津川に向かう時、何の本を持って行こうかなと思って、最終的に選んだのは、和合氏の『詩の寺子屋』(岩波ジュニア新書、2015年)という本であった。昨年か一昨年かに買って、けっこういい本だな、本の中で紹介されている指導事例は「寺子屋」のものであって授業のものではないけれども、高校教諭でもある和合さんという人は、授業者としてもなかなか優れた仕事をしているのではあるまいか、などと感心しつつ、一度ざっと読んだだけで書架に突っ込んであったのである。
 その第2章で、和合氏は村上春樹の「僕が最初の小説『風の歌を聴け』を書こうとしたとき、〈これはもう、何も書くことがないということを書くしかないんじゃないか〉と痛感しました」という文章(『職業としての小説家』)を引用した上で、次のように書く。

 

「書くことがない」というはっきりとした事実から、村上は一歩を踏み出している。「書くことがない」ことこそが正しいのかも知れません。何かを意識して書こうとするから、ほんとうに書きたいものが見えなくなってしまうのです。無意識のまなざし中にこそあるのです。

 

 一読して頭を抱えた部分だ。村上の言葉はまるで禅問答のようであるが、和合氏によるコメントはそれにもまして分かりにくい。書く時には、自分が何を書きたいか意識するしかないではないか。
 私の頭には、すぐに次のような高村光太郎の言葉が浮かぶ。

 

「詩を書かないでいると死にたくなる人だけ詩を書くといいと思います。」(「詩界に就いて」1927年4月)

 

 「詩を書かないでいると死にたくなる」時、高村の心の中には、書きたいことがはっきりと意識されているだろう。「書くことがない」という状況ではないはずだ。少なくとも、和合氏の本を読むまで、私はそれ以外の可能性など考えたこともなかった。表現というのは、表現せずにはいられないという衝動の産物だ。詩を書くことが義務であるわけでもなし、「書くことがない」のであれば、無理して「書くこと」を探し出し、詩を作る必要なんかない。では、和合氏が言おうとしていることは何なのだろう?列車の中で、ぼんやりと景色を見ながら、そんなことが頭の中をめぐり始めた。
 和合氏の、「無意識のまなざし中にこそ~」は主語がないために落ち着きが悪い文である。一方、主語が「本当に書きたいもの」であることは自明なので、長い主語を近接して繰り返し書くのは煩わしいという気持ちも理解できる。
 しかし、ここは大事なところだ。「本当に書きたいものは無意識のまなざし中にこそある」とすれば、「書きたい」という衝動はあっても、書きたいことを意識できているとは限らないということがより一層明確になるからだ。
 和合氏は、この後、言葉の響きや連想を手がかりに、言葉を見つけ出す方法について解説していく。思い浮かんできた言葉の自分にとっての意味も、言葉どうしの脈絡も、とりあえずはどうでもいい。時に個人、時に共同。とにかく思い浮かんだことを書き出し、音読してみれば、言葉は連鎖反応を起こして豊かになり、自分の意識の深層が明らかになってくる、ということらしい。おそらく、和合氏は、あらゆる人の意識の底には何らかの表現したい思いがあり、それを言葉を手がかりにして探し出せば、その言葉を組み合わせることで詩が生まれる、と考えているのだろう。つまり、人間は自分の心の中で起きていることが常に明瞭に把握できているとは限らない。それを自覚的なものにすることは、言葉を通して実現する。そしてそこに、詩を作る意味もある。
 これはこれで一つの見識だと思う。どうやら、和合氏と高村光太郎を相反するもののように考えるべきではないようだ。明瞭に意識できていることとそうでないことは、どちらが真実である場合もある。意識できていることを意識するのに技はいらないが、意識できていないことを意識の上に引きずり出すという作業には技が必要だ。だから、和合氏はこの本の中で、「無意識のまなざし中に」ある「ほんとうに書きたいもの」を意識化する作業を中心に論じているのだ。これが正しい理解かどうかは知らないが、私はそんな風に納得した。
 「書くことがないことこそが正しい」とまでは思わないにしても、書くことがないからと言って書く必要がないとは限らない。もしかするとそれは、作文について私が生徒に、「書くことで、自分に何が分かっていて何が分かっていないかを知っていく」と言っていることと通じるのかも知れない。
 そんなことを思っているうちに、バスは志津川に着いた。