9月新学期論について

 コロナ騒ぎのドタバタの中で、我が宮城県知事が、まったく突然、新学期を9月にしてしまえ、と発言した。周りはどう反応するだろう?と思っていたら、今や、政府が真面目に検討を始めるに至っている。
 実現可能性についてはまだまだ予断を許さない。また、世の中の学校が続々と授業を再開しているので、コロナ休業によって生じたダメージをごまかす(回復させる?)ための新学期変更は不要、というより不可能になりつつある。だが、もしかすると2~3年の内に現実化してしまうのかも知れない。
 恥ずかしながら、私はかつて「私は『秋入学』支持者である」という一文を書いた(→こちら)。東大が秋入学の実現に向けて作業を開始した、という報道に接して、自分の考えをまとめた文章である。2012年1月22日の記事だ。当時、東大は5年後の実現を目指していた。「5年後」は過ぎたが、東大の入試が夏に行われるようになったという話は聞かない。どうなったのかな?止めるなら止めるで、発表があると思うのだが・・・。
 ところで、私は今、2012年とは少し違うことを考えていて、「9月新学期」に絶対反対とは言わないものの、かなり「反対」に近づいている。
 考えが変わった最も大きなきっかけは、2017年9月に、東北大学の学位授与式というのに出席し、あまりにも多くの「秋卒業生」がいることに驚いたことである(→その時の記事)。入学のシステムがどうなっているのか、どこの大学でも同様なのか、詳細は調べていないが、どうやら春と秋、どちらの新学期にも対応できるようなシステムが、既に大学にはあるらしい。留学生が大半だったが、単位取得との関係で、半年遅れの卒業も認めているらしく、それに該当する人を中心に、日本人も相当数いた。
 こうなってくると、「桜の季節の新学期」を標準としておくことに何の問題もないような気がする。日本の気候風土とうまく調和した素晴らしい設定だ。いかにも、今から希望に満ちた新学期が始まる、という気になれるではないか。
 留学との関係でも、私が知っている日本人留学生で、しかるべき語学能力を蓄えた上で現地へ赴いたという例は少ない。私の知っている留学生の絶対数が少ないのも確かだが、その範囲で考えれば、もしかするとそれはゼロかも知れない。外国から日本に来る留学生は、それに比べるとはるかに出来がいいような気がするが、それでも驚くほどのことはない。
 だとすれば、春と秋という半年間のズレは、実に適度な語学のトレーニング期間であるような気がする。移動の準備をするにしても、新しい生活のセッティングをするにしても、半年くらいの時間的余裕があることは、決して悪いことではないようにも思う。語学力も十分、引っ越しの面倒もない、という人にとっても、それはよい充電期間にこそなれ、無駄な時間ではないはずだ。あるいは、立場的に中途半端な半年間は、何も出来ない無駄な時間でしかない、などと考えるような人は、そもそも留学する価値も学問・研究を続ける価値もないだろう。
 現在の検討状況を見ていると、一時的なものではあるかも知れないが、制度変更には膨大な社会的負担が発生しそうだ。そこまでして制度変更する必要があるのか。どうも私は否定的な方向に大きく傾いてきている。