弱者に冷たい道路

 1ヶ月くらい前からで2回、新聞(2回とも河北だったか、河北と毎日だったか失念)で新しい「オービス」のことが取り上げられていた。オービスとは、自動速度取り締まり装置である。今までの測定装置が、ただ速度を測るだけだったのに対し、新しいオービスは、写真を撮る方式なので、測定装置の近くに大きな場所を取って警察官が待機する必要が無く、わずか1㎡のスペースがあれば設置できるのだという。
 驚いたことに、過去10年か20年、速度取り締まりなど見たことがなかったのに、この1ヶ月で2回もそのオービスとやらを目撃した。危ない危ない。一度見ると、どこででもやっているような気がして、スピードが出しにくくなる。案の定、新聞の2回目の記事でも、測定を始めてから通過する車のスピードが平均7%低下した、と書いてあった(と思う=手元に記事が残っていないので、少し不確か)。
 我が家の近くで、ほんのわずかの距離ながら新しい道路が開通した。震災後に設計された高盛り土道路である。いまだ工事中の区間が開通したら、我が家から東松島方面への利便性は飛躍的に向上する。まるで高速道路みたいだ。
 さて、オービスの話の後に高盛り土道路の話を書いたのにはわけがある。どうしても変だ。高速道路並みの快適な道路を整備し、ますます早く快適に車で移動できるように、いや、車なしでは生活できないような状況を作っておいて、制限時速は50㎞/h。そこでスピードを出しすぎないように、速度測定器を改良して取り締まりをする。しかも、二酸化炭素を中心とする温室効果ガスの削減、脱炭素社会の実現は、世界の最重要課題で、日本政府もいかにも威勢のいい削減目標を語っている。言っていることとやっていることは完全に矛盾している。アクセルとブレーキを同時に思い切り踏んでいる状態だ。
 もっとも、見方によっては何ら矛盾はない。矛盾を消すための「見方」とは何か?それは、経済的利益を最大にするという価値観一本で世の中を見ることである。しかし、それは、30年、50年という時間スケールで見た時には、不利益を最大にすることになるだろう。今この瞬間の経済的利益だけが大事。それは恐ろしいことだ。


《おまけ》
 以前にも少し書いたことがあるが、高盛り土道路は犯罪的な道路である。道路を作るのにいかに膨大な資源(主に石油)を消費するかは言うまでもないこととして、弱者いじめが甚だしい。車へのマイナスは小さいが、歩行者にとっては万里の長城である。仙台港から閖上(ゆりあげ、仙台空港方面)に向かう高盛り土道路などは、周りにほとんど人家がないので、まだ許せるが、石巻の市街地の中となるとそうはいかない。私はせめて100~200mに一箇所くらい歩行者用のトンネルでも作ってくれるのかと思ったら、そんなものは全然ない。しかも、高盛り土道路上にはなぜか例外なく歩道がない。道路を渡るために、いちいち上り下りをしなければならないのだが、階段のところとスロープのところとがある。階段だと体の不自由な人が上り下りできず、スロープだと距離がやたら伸びる。しかも、そのスロープが自分の向かう方向に向かっているとは限らない。弱者に冷たい町作りの典型である。
 トンネルを作って「蟻の一穴」となったら困るではないか、ということなのかも知れない。しかし、来ることが非常に稀な、場合によっては100年、200年以上先の危険のために、これほど日常的に弱者に不自由をしのばせるのは間違いである。どうしても心配なら、トンネルの入り口にシャッターでも付けておけばいいのだ。え?費用がかかる?・・・車が快適に走れるようにするためならいくらでもお金をかけるくせに・・・。