私も「読売に同感です」

 昨日の朝日新聞、社説の下の「社説余滴」という欄に、「本件、私は読売に同感です」と見出しの付いた記事が出た。科学社説担当記者・黒沢大陸という人が書いている。他社の記事に賛意を示す、しかもそのことを堂々と見出しに書いている記事というのは珍しいのではあるまいか?
 何事かと思って見てみると、デジタル教科書導入に関する問題だ。文科省のデジタル教科書導入が拙速に過ぎるのではないかと疑問を投げかけた上で、本格導入を求めた有識者会議の中間提言に対するパブリックコメントを紹介する。そして、大切なのはここからだ。
 朝日新聞は3月の社説で「国は前向きに取り組んで欲しい」と主張したことを紹介した上で、自分は4月の読売新聞社説「紙を補助する活用法が有効だ」に同感する、と結ぶ。「(読売新聞は)これまでも慎重な対応を求める社説を繰り返し掲載、教育効果に疑問も投げかけ、関連記事も多い」との紹介も入る。
 実は、私も同感だ。デジタル問題に関する読売新聞の取り組みは、極めて評価に値する。特に、1月30日に掲載されたオンラインシンポジウム「教育の急激なデジタル化の問題を考える」に関する記事は秀逸だった(→それについての私の記事)。その後も、読売は4月に「デジタル教科書を問う」という連載を行い、そのまとめを5月20日に出した。いずれも国のデジタル政策に対して極めて懐疑的、批判的だ。
 批判的であるというのは、私と意見が一致する、もしくは近いというだけであって、決して「正しい」を意味するわけではないのかも知れない。しかし、少なくとも私の目から見れば、デジタル化を積極的に進めようとするのは、それによって利益を得る人達から踊らされているか、子供が面白がることを「善」と勘違いしているか、得体の知れない「時代の流れ」に迎合しているだけであって、人間や学びの本質を長期的視野に立って考えたりは全然していないのだ。
 安倍政権発足以後、読売新聞は権力を監視するというマスコミの使命を放棄したかのような感があり、一時私はひどい嫌悪感を感じて、手に取ることも少なくなっていた(→そんなことを問題にした過去記事)。ところが、菅政権になってから少しましになり、最近は総じてあまり変だと思わない。そして、教育のデジタル化問題に対するこの気骨ある態度。
 マスコミが安倍政権のような傲慢な権力の時に権力寄りになり、岸田政権のような比較的穏やかな権力の時に強気だというのは、権力の監視者である立場としては甚だ不都合なのであるが、政権の性質に関わりなく常に迎合的であるよりはよほどいい。読売には、ぜひこの調子で頑張って欲しいと思うし、朝日は朝日で、社内の異論を封じ込めることなく公にした度量を大切にし、熟慮の上で社説の内容変更をして、急激な(そして見境のない)教育のデジタル化にブレーキをかける方向で論陣を張ってもらいたいものである。