天路の旅人

 沢木耕太郎が、西川一三をモデルとした小説『天路の旅人』(新潮社、2022年10月)を書いたこと、それが沢木の代表作と言えるようになるかも知れない傑作だということなどは、新聞やネットの情報で知っていた。先日、何という番組だったか憶えていないが、テレビで沢木がこの作品について語っているのを見たりもした。沢木については、4年ほど前に、彼の講演を聞いたことをきっかけとして、『深夜特急』のことなどを中心に一文を書いたことがある(→こちら)。
 『深夜特急』は私の好きな作品のひとつであり、沢木という作家についても悪い印象はまったくないが、かと言って、彼の作品の熱心な読者であるかと言えば、必ずしもそうは言えない。『深夜特急』は何度も読んだが、それ以外の作品は読んだこともないのである。それでも、沢木が「旅」というものの本質を見極めようとして書いたらしい、しかも西川一三をモデルにするという作品は読んでみたいと思った。
 西川一三(にしわか かずみ 1918~2008年)というのは、元々日中戦争における日本のスパイだった人である。1943年、諜報活動の命を受け、蒙古人になりすまして青海省からチベットに入り、終戦後は旅そのものを目的としてインドとチベットを行き来した後、インドを旅行し、最終的には警察に捕まって、1950年に日本に送還された。その想像を絶する過酷で刺激に満ちた旅は8年に及んだ。
 我が家にも西川の『秘境西域八年の潜行』(芙蓉書房、1972年増補改訂版)はあって、当然、かつて読んだことはあるのだが、ほとんど憶えていなかった。
 『天路の旅人』は、とりあえず図書館で借りてきて、この4日ほどで一通り読んだ。傑作かどうかは知らない。夢中になって読んだのは確かだ。改めて西川の壮絶な旅に驚き、圧倒され、脱帽した。
 事実は小説よりも奇なり、と言うが、西川の旅などは正にその言葉がぴったりだ。「蒙古人のラマ(僧)」という偽りがばれないだけの語学力や、順応力、4000mを超えるチベット高原を徒歩で歩き回る体力、匪賊の出現に身構えつつ、いかなる修羅場でも生き抜く胆力と知恵と運、そして何よりも、旅先で出会った人に愛される誠実な人間性。それらが全て完璧であって初めて、彼のような旅は可能となる。したがって、『天路の旅人』の面白さは、果たして沢木の筆力によるのか、素材の価値によるのか判然としない。沢木以外の人が書いたとしても、それなりの物語にはなったような気がする。
 「だから」と言うべきか、『天路の旅人』の中で最も価値を感じたのは、第1章と第15章だ。第1章は西川の旅ではなく、沢木が西川に初めてコンタクトを取った場面から、月に一度、盛岡に住む西川を訪ねてインタビュー(呑みながらの会話)を重ね、更に西川の死後に『秘境西域八年の潜行』オリジナル原稿を手に入れる、いわば執筆前史というべき章である。最終第15章は、帰国後の西川に関する後日談だ。そこでは、『秘境西域八年の潜行』出版に至るいきさつや、同時期に同様の経緯でチベット~インドを旅し、現地でも関わりのあった木村肥佐生(きむら ひさお 1922~1989年)との関係が話題となる。これら、中でも第1章に書かれたようなことは、西川自身には絶対に書けないことだし、それが西川一三という人間をとても生々しくリアルな存在に感じさせてくれる。だからこそ、第2章以下の西川の旅に関する叙述が人を動かすものになっているのかも知れない。
 とは言え、やはりこの小説の価値は、『秘境西域八年の潜行』の記述と比べてみることでしか評価できないように思う。今後、それを読み直しながら、沢木の仕事の意味を少し考えてみよう、と思っているところ。

 

(注)我が家にある『秘境西域八年の潜行』は「増補改訂版」という2巻本である。芙蓉書房からは前後3種類の『秘境西域八年の潜行』が出版されている。オリジナルは1967~1968年に出たやはり2巻本で、その後1978年に3巻本が出たらしい(増補改訂版に別巻を加えただけかも)。1990年に中公文庫から出た3巻本は、1978年版と同じではないだろう。小さな活字で2段組、正味700ページを超える単行本の文面が、3冊の文庫本に収まるわけがない。これらの具体的な異同は分からない。情報の取捨選択という意味で、比べてみると面白いかも知れない。