社会的影響力

 最近、某有名プロ野球選手や女優の不倫というのが、よく話題になっている。私は有名人の不倫に関して、かつて少し書いたことがある(→こちら)。
 有名人が不祥事を起こすと、社会的影響力とかなんとか言って、非常に厳しい社会的制裁を受けることが多い、だが、マスコミが騒ぐから社会的影響なるものが発生するのであって、騒がなければ個人的な問題に過ぎない、というような内容である。
 月曜日に、NHK映像の世紀 バタフライエフェクト」を見た。ビートルズを取り上げた2回目である。その中に、1967年6月、ビートルズのメンバーがLSD(ドラッグ)を使っていたことについて、BBCの記者がポール・マッカートニーにインタビューする場面が出てくる。さすがはポール、賢いなぁ、と思いながら見ていた。

記者「(あなたたちが)ドラッグを使ったことによって、ファンにドラッグを勧めてしまったと思いませんか?」
ポール「それ(ドラッグを勧めているの)はあなたたちだ。つまりテレビだ。僕が言いたいのは、今まさに、あなたが広めているということだ。この話はイギリス中の家庭に届く。僕はそうならない方がいいと思うけど。あなたの質問のせいでそうなっている。」

 私が上で書いたこととほぼ同じだ。ポールがLSDを使ったから社会的影響力が発生するのではなく、それをテレビが大々的に報道するから社会的影響力が生まれるのである。不倫その他、不祥事の渦中にある有名人が何を思っているか、私は知らない。もしかすると、「ああ悪いことをした」とか「見つからないように注意するんだった」とか、反省にしても後悔にしても、自分がしたことを見つめているだけかも知れない。しかし、ポールはそれを超えて、社会的影響力の本質を見抜き、はっきりと指摘していた。それは案外難しいことなのではないか、私にはそんな気がする。
 起こした不祥事の性質にもよるが、正義感を気取って騒ぐことで、悪を拡散させると同時に、窮屈で面倒な世の中を作るのは止めてほしい。少なくとも、不倫などというのは、分かっていても見て見ぬふりをした方がいいくらい個人的な問題だ。
 報道、言論の自由などというものは、本物の公人=政治家に対してこそ用いられるべきである。なぜなら、それらの自由は、健全なる民主主義社会を支えるためのものだからである。政治家に関する報道は、全て次の選挙の時の選択材料として機能する。それに対して、スポーツ選手やタレントに関する情報は、ただ単に下世話な好奇心を満足させるためのものでしかない場合がほとんどである。某選手、某女優の不倫よりも、そんなマスコミの動きの方が100倍も悪影響は大きい。そしてもちろん、その裏には、そんな下世話な情報を面白がり求める大衆がいる。