再発防止の限界

 今日は体育大会二日目。昨日書いた通り、天気予報ではかなり悲観的だった。ところが、これまた予想通り、朝起きたらなかなかの好天で、青空も見え、陽が射している。
 ところが、私が家を出て間もなく雨が降り始めた。30分後、学校に着く頃には大方上がり、また陽が射し始めた。いやいや、天気に気をもむ疲れる一日になりそうだ、と思っていたところ、その後は案外安定し、11時頃に少し強く降りはしたものの、なんとか最後まで予定通りの種目をやりきることができた。私としては、土埃のひどいグランドにいるよりはよかった。
 学年内優勝はできなかったが、ほどよく勝ったり負けたり、終了後のHRでは、来年へ向けての決意も語られたりして、実に気分よく2日間を終えることができた。

 話は全然変わる。既に半月以上が経ってしまったが、6月14日に岐阜市自衛隊射撃練習場で、高校を出たばかりの自衛官候補生が、射撃訓練の際に上官をはじめとする他の3人の自衛官を射殺したという事件があった。
 事件の直後から、再発防止策云々という話を聞く。再発したら困るというのは当然なので、再発防止策云々という話が出るのも当然なのだろう。
 しかし、新聞報道で知る限り、今までも射撃訓練はかなり慎重な管理の下に行われていたようだ。これ以上の策を講じようとすれば、射撃訓練が射撃訓練として成り立たないのではないかと思うほどだ。
 人間は不完全である。変な人、異常な人というのは絶対にいる。どこをどう工夫しても、ゼロにはできない。採用試験でそれを見抜くこともできないだろう。問題は必ず起きるのである。もちろん、それは困るので、何かしらの対策は考えておくものなのだが、それを一定以上にすれば、今度は対策によるマイナスが大きくなってしまう。
 学校などは、何かの不祥事が起きるたびに、禁止事項や書類や研修が増える。対策は必ず「増える」だけで、絶対に「減ら」ない。学校だけではなく、会社でも同じかも知れない。事件、事故が起きる可能性は極めて低いのに、それを防ぐために、もしくはそれを防ぐために頑張っているとアピールするために、余計な仕事がどんどん増え、徒労感を含む多忙が加速し、本来の業務に支障が生じる。
 事件・事故の性質にもよるだろうが、基本的には、「問題を確認し合う」に止めるべきだろうと私は思っている。策を講じたって、そんなものはどうせ形骸化するのであって、形骸化した時に何をすればよいかと言えば、やはり「問題を確認し合う」しかないではないか。
 自衛隊の場合、射撃練習場で万全を期したとしても、戦場では実弾を発射できる状態で走り回るしかないのである。そして、何という本に書いてあった話か、いま具体的には思い出せないのだが、実際に、過去の戦争の際、戦場で仲間や上官を撃ったという事例は、いくつか読んだことがある。平時であっても起こる事件は、戦場という狂気の中では、なおのこと起こりやすい。人間という不完全な存在が、銃という人殺しの道具を持つというのはそういうことなのだ。
 策を講じても講じなくても、次に同様の事件が起きるまでの時間は変わらないと思う。であれば、人(仲間)を信じるという前提に立ちつつ、せいぜい今まで通りの注意を払っていけばよい。いや、それしかない。