教育実習の功罪



 先週の木曜日、すなわち定期考査初日に教育実習が始まり、今年は大挙14名の大学生が実習に入った。

 実習が考査初日に始まるというのは実習を出来るだけ実質的に短いものしようという学校の姿勢の表れである。つまり、教育実習は授業の進行の妨げになる迷惑なものだ、という思いが、その根底にある。しかし、果たしてそうであろうか?

 確かに、実習生の授業には遺漏が多いかも知れない。しかし、一方で、教育の現実が見えていない(見えている必要もない)彼らが、純粋な教育の理想を追い求めようとすることによって与えてくれる刺激、或いは第三者としてのユニークな視点や現役大学生ならではの知的刺激が、生徒・教員双方を活性化させてくれる部分というのも、少なからずあるような気がする。短期間ながら学校を内側から見た体験が、彼らが教員にならなかったとしても、将来、市民や親の立場で学校のよき理解者になることに結びつく可能性も大いにあるだろう。授業の遺漏など後でどうにでも出来るが、それらは補いようのないものだとも思う。

 だから私には、教育実習を邪魔者扱いすることが非常に狭い了見に思われるのだ。学校が邪魔者扱いする→実習生が遠慮する→実習のいいところが生きてこない→ますます実習は邪魔になる、という悪のスパイラルは嫌だなぁ。残念ながら我がクラスに来る予定だった実習生はキャンセルしてしまったが、授業その他でいろいろな実習生と接するチャンスはあるはずだ。受け身になることなく、ぜひ積極的にアプローチして、彼らから多くのものを引き出して欲しい。