高校生レストラン



 我が水産高校が、1月28日放映の『おいしい闘技場』(NHK)で、三重県相可(おうか)高校と対決する(した)という話は、このブログにも何度か書いた。昨日、その指導者である村林新吾先生という方の書いた本『高校生レストラン、本日も満席』(伊勢新聞社)という本を読んだ。いやぁ、面白かった。教育現場に関する本で、これほど「ときめき」を感じ、わくわくしたのは20年ほど前に、『流れよ、教育の大河』(高文研)を読んで以来のような気がする。高校直営レストラン「まごの店」を立ち上げていく過程も面白かったが、村林先生の前半生も面白かった。特に、調理師学校入学後の学びの過程は圧倒的である。

 教育と言えば、私の先日の投書も含めて、後から後からわいてくる問題点とか課題とかいうものを、どうやって克服していくか、どうやってマイナスを消してゼロに出来るか、みたいなものが多く、そこに政権の思惑も絡んで、たいていは暗い気持ちになるような気がするが、この本は、楽しく、充実感を持って積極的な価値を生み出した記録である。だからこそ、読んでいてなんとも心楽しい。年の瀬にこんな本と出会えたことはよかった。悩み多い日々だけど、この本を読んでいると、なんだか自分にも突破口が見えてくるような気分になれる(宮水で何かできることないかなぁ)。

 ところで、村林先生の指導で相可高校食物調理科若しくは調理クラブの生徒達が実力を付けていった背後に、現在私達が考えなければならない二つの問題があるように思った。ひとつは、村林先生に人事異動の気配がないことだ。はっきりとは書かれていないが、この先生は料理のスペシャリストとして採用され、調理師の資格が取得できる高校なんてほとんど無いはずだから、多分転勤はないのだろう(現在16年目)。それが、腰を据えた、息の長い取り組みを生んでいる。もう一つは、先生が、調理の世界でおそらく一流の人間であるということだ。

 最近、宮城県でも教育現場の異動のペースが非常に早くなっている(県は一校8年まで、と言っている)。かつての膠着した人事に対する批判と反動なのだろうが、このことが誰でも出来るシステム=個性のない学校を作ることになっているように思う。また、高校の教員には非常に中途半端な学識の人間が多い。やたらと増えた研修会でも、国語なら「文学」の専門家を作るなどという観点はない。しかし、かつての大学教育でそう考えられていたように、専門分野において一流の人間だけが一流の教育をなし得る、ということはあるのではなかろうか。

 何事も続けることは難しい。立ち上げる時に心ときめかしたレストランも、やがてはそれを維持することが「義務」となっていく。どうやってテンションを維持していくのか、更に、転勤はなくても定年はあるだろうから、村林先生が居なくなった後、誰かがこれを維持できるのか、「わくわく」「ときめき」と同じ強さでもって、私の心の中にはそんな心配もわき起こってきた。

それにしても、宮水はとんでもない高校を相手に勝負することになったものである。最初にこの本を読んでいたら、対戦を引き受けられたとはとても思えない。まさに「知らぬが仏」である。本番の時の話を私はあえて聞いていない。ドキドキしながら、1月28日を楽しみにしようと思う。