中国語は難しい(2)



 「麗的呼声李大傻的粤語広播故事」の中で、分かる部分から見ていくと、間違いないのは、「粤語」が広東語、「広播」が放送(する)、「故事」が昔話だということである。「李大傻」が男性の名前であることもまず間違いない。すると、皆目意味の見当が付かないのは、最初の4文字「麗的呼声」だけなのだが、これがなかなかに手強い。

 普通に考えれば、「麗」は形容詞、「的」は連体形活用語尾と同じような働きをする一種の助詞、「呼声」は名詞だろう。これらのうち「麗」と「呼声」を辞書(大学時代から使っている初版1968年の『中日大辞典』)で引いてみると、次のように書いてある。

 「麗:1 うるわしい、2 付着する」

 「呼声:呼び声、叫び声、(世論などの)声」

「麗」の2が少し意外というだけで、特に目新しい意味はない。ここで私は、やむを得ず、「美男として評判の李大傻の広東語放送による歴史物語」と訳してみた(前後の文脈から考えると、訳の末尾は「歴史物語」でなければならない)。しかし、全然しっくりこない。理由はやはり「麗的呼声」である。

 中国語というのは2文字1組で安定する(落ち着く)という性質がある。世の中に2文字熟語、4文字熟語がたくさん存在するのはこの理由によっている。中国語を知らない人が見れば、「麗的」と「呼声」で2文字ずつ安定しているではないか、と思うかも知れないが、そうではない。「的」はオマケなので、その前に2文字あり、「○○的○○」でなければ、落ち着かないのである。「麗」が「美麗」といった熟語を作らず、単独で用いられたりするだろうか?

 もう一つは「呼声」を本当に「評判」などと訳していいかどうか、という問題である。確かに、日本語において「呼び声」というのは「評判」というような意味を持ち、手元の国語辞典(旺文社「国語辞典」第10版)にも書いてあるのだが、『中日大辞典』では、例文を見てもそれが確認できない。いや、仮にそれが許されるとしても、「麗的呼声」の後に「的」が入らずに、直接「李大傻」という人名にくっついたりするものなのかな?そもそも、この書き方だと「李大傻」が「麗」なのではなく、「呼声」そのものが「麗」だと言っていることになるのではないのかな?そうならないためには、「声」の後に「的」を入れるとともに、「麗」の前に「獲得」などを入れる必要があるのではないかな?いや、入れてもダメかな?と、いろいろな疑問が浮かんできて、やっぱり変だぞ、という違和感が募ってくる。そういう場合は、もちろん理解が間違っているのだ。

 昨日最初に書いたとおり、分からない箇所があった場合、論文に引用するとか、そこが分からないと文章の主題や全体がまったく理解できないといった場合を除くと、私は基本的には飛ばして読んでしまう。今回は、そのどちらにも該当しない。つまり、飛ばして読んでしまっても何ら困ったりしないのである。しかし、書かれている文字が平易で、文脈も分かりにくくないにもかかわらず、なぜこれほど意味の見当が付かないのだろう・・・。私は妙に気になったのである。後へ後へと読み進みながら、ふと気が付くと、「麗的呼声」の意味に思いを巡らしている、という状態が数日続いた。

 スマホや携帯電話を持っておらず、日頃「ググる」という習慣もない私は、昨日の深夜になって、ようやく、「麗的呼声」をインターネットでそのまま検索してみるという方法を思いついた。やってみたところ、中国語版Wikipedia(「維基百科」=ウェイチーバイコー=これは音訳+意訳ですね)の見出し語に、なんと「麗的呼声」があって、「麗的呼声(Rediffusion)是一家英国公司,於1920年代在英国成立、〜」(麗的呼声(Rediffusion)はイギリスの会社で、1920年代にイギリスで設立され、〜)と書いてある。う〜〜ん、参った!私が悩みに悩んでいた「麗的呼声」は私が思っていた「リーデフーション」ではなく、「リーディーフーション」と読んで(「的」には2種類の発音がある)、「Rediffusion」という会社名の音訳に過ぎなかったのだ。平易な漢字の並びと、「呼声」という熟語が含まれていることとが落とし穴であった。そのため、私は、「麗的呼声」が一つの単語で、外来語の音訳であるという可能性を、微塵も思い浮かべることが出来なかったのである。

 「維基百科」のその後に続く説明によれば、この会社はシンガポールを含むいくつかのイギリス植民地に有線放送による放送局を作ったらしい。他の文章には、それに基づき、「麗的呼声」を有線放送の意味で用いているかのような文章(用例)もあった。ちなみに、「李大傻」も探してみたところ、やはり人名で、歴史を語らせれば右に出るものはいない、といった感じの講談師的な人物だったようだ。

 こうなると、問題箇所の意味は、「Rediffusionで聞いた李大傻の広東語放送による歴史物語」というような意味になる。まずこれで間違いない。それにしても、少なくともシンガポールの人なら、「麗的呼声」は、説明や注がなくても分かる言葉なのかな?いやはや、中国語の外来語は手強い、と改めて身に染みたことであった。 (完)


(注)書き終えた後に、日本人によるこんなサイト(→こちら)を見つけた。書きかけ半分の記事であるのは残念だが、Rediffusionを、どのような経緯で「麗的呼声」と漢訳したか、といったことも書いてある。