「てしまった」考(1)

 古典の授業で口語訳をする際、「にけり」「てけり」という完了+過去の助動詞を訳すのに「~てしまった」とするのをよく見る(英語の授業における完了形の解説でも同様のことをしているはずだ)。最近も、『伊勢物語』第1段「初冠」について、次のようなプリントを見た。

その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男垣間見てけり。
その里に、とても若々しく美しい姉妹が住んでいた。この男は垣間見(    )。

古里にいとはしたなくてありければ、心地惑いにけり。
古い都に不似合いだったので、(男は)心が動揺し(    )。

 どうも( )には「てしまった」を入れるのが正解らしい。過去完了形が理解できているかどうかを問うというのが目的のようだ。私には、それが出来たからといって過去完了が理解できていることになるとはとても思えない。問題は「てしまった」という日本語の意味である。次のような例を考えてみよう。

A a私はこの本を読んだ。
  b私はこの本を読み終えた。
  c私はこの本を読んでしまった。

 aは単なる過去形である。普通はいつのことかが分かるように、「昨晩、私はこの本を読んだ」などと書く。
 bは「この本を読む」という作業が終わったと言っているので、一つの動作が終了したことを完了形とするならば、非常にはっきりした過去完了である。
 cは「てしまった」という過去完了の定番訳が用いられているが、では、b=cかと言うと、そうではない。どんなアホな高校生に聞いても、これらを同じだとは絶対に言わない。明らかにcの方には「もっと時間がかかると思っていたのに」とか「面白いからもっと読んでいたかったのに」というようなニュアンスが含まれている。

B a私は学校の窓を割った。
  b私は学校の窓を割ってしまった。

 aは単に過去の事実を表しているが、一つのものを割るという作業は継続的に行うようなものではない。例えば金槌で思い切り叩けば、窓は一瞬で割れ落ちてしまい、継続も反復もない。したがって、Aで書いたとおり、一つの動作が終了したことを完了形とするならば、これは過去完了である。
 一方、bには「ああ失敗した」「うっかりとは言え、悪いことをした」というようなニュアンスが明らかに含まれている。「てしまった」が過去完了の訳だといってa=bには絶対にならない。
 このように見てくると、「てしまった」にはマイナスのニュアンスが含まれているようだが、必ずしもそうとは言えない。

C a私は県大会で優勝した。
  b私は県大会で優勝してしまった。

 aはやはり過去の事実を表しているようだが、優勝するというのはある瞬間に確定してしまうわけだから、これまた過去完了と言える。
 bは、夢中で試合をしているうちに、いつの間にか決勝戦、そしてふと気が付くとその決勝戦でも勝っていた、という一種の放心や当惑(意外なことが起こった驚き)が表現されている。少なくとも、私の感覚ではそのように感じられる。
 というわけで、「~てしまった」は、単に何かしらの動作や現象が過去に完了してしまったことを表すに止まらず、さまざまなニュアンスを付け加える表現である。だから、「にけり」「てけり」を「~てしまった」と訳したところで、何が分かっていることの証明にもならず、場合によっては余計なニュアンスを付け加えることになってしまう。(続く)