お金が変わる時

 今日から新しい紙幣の流通が始まった。私は、お金は使えればいい、という立場なので、旧紙幣も新紙幣も関係ない。一刻も早く新紙幣を見たい、などという願望もない。資本主義が明らかに行き詰まりを迎えようとしている時期(=私見)に、「日本資本主義の父・渋沢栄一」はないだろうと、浮かれた報道を見ながらブツブツ言っている程度である。
 私がテレビを見て驚いていたのは、今朝、日銀から新紙幣が運び出されたというニュースだ。そうか、今日から流通が始まるということは、今日、初めて日銀から外に出ることであって、今日から一斉に全国で流通するということでは必ずしもないのだ。
 お前は、なぜそんなことに驚くのか?と普通の人は思うことだろう。実はこの私、ユーロという通貨の使用が始まった日、すなわち2002年1月1日にヨーロッパで、その瞬間を見たのである。それとの違いがあまりにも大きいのだ。
 この時、私はちょっとした事情でスペインのセビージャ(セビリア)にいた。朝起きてホテルをチェックアウトすると、バスターミナルに向かった。午前9時頃だったと思う。この日、私が最初にお金を使ったのは、バスターミナルでアジャモンテ行きの切符を買った時である。当時のスペイン通貨はペセタである。しかし、切符を買うとユーロでお釣りをくれた。「ほら、ユーロですよ」などという雰囲気は微塵もなく、ごく当たり前に、まるで以前からそうであるかのようにユーロを渡された。もちろん、計算に手間取るということもなかった。
 この日私は、アジャモンテで国境の川を渡るフェリーに乗り、ポルトガルに入国してヴィラ・レアル・デ・サン・アントニオの街で夕食をとり(昼食をどうしたかの記憶がまったくない)、駅で当日のファーロまでの普通切符と、翌日のファーロからリスボン(バレイロ駅)までの特急券を買った。ポルトガルでは、2001年までの通貨エスクードを持っていなかったので、ドルからユーロに両替するわけだが、その両替はもとより、ユーロで支払った時に、小銭も含めてお釣りがない、などということはなかった。どちらの国も、しばらく前からユーロを使っているような、自然でさりげない様子だった。さぁ、今日からユーロだと身構え、面倒が起こることを覚悟していた私は、完全に拍子抜けしてしまった。そして、事前の作業が、商店や食堂、駅などで働く人への研修も含めて、どのように行われたのだろうかという強い興味を抱いた。
 ユーロは、現金に先立って、3年前の1999年からクレジットカードによる決済など書面上で使えるようになっていた。人々の自然な振る舞いには、そんな事情もあったかも知れない。それでも、私にとってその自然さは驚くべきことだった。
 国境を越えての通貨統合に比べれば、日本国内で、以前通りの額面の新札を発行するなどというのは些細な変更である。それでもこの大騒ぎ。別にそれが悪いわけではないけれど、どうしても、あの静かな静かなユーロへの切り替えの様子が思い出される。